最新学習歴という言葉には、「最終学歴」との対比の中で、いくつか重要な意味があります。
第一に、「最終」ではなく「最新」であるということ。もう一つは、「学歴」ではなく、「学習歴」であるということです。
他者との比較で新しいかどうかは関係なく、「自己ベストを更新すること」が最新の基準です。その人にとって初めてのことであれば「最新」の学習です。
人生のどの時期に「最新」であったとしても、誰かより早かったとか遅かったとか、他者と比べる必要はないのです。また、「学歴」が示すのは、冒頭で示した図のごく小さな一部であるのに対し、「学習歴」は外側の長方形、つまり、人生のすべてを指します。
「歴」というのは、その人にとっての記録、軌跡であり、学位や資格、段位、級位のように権威ある他者から評価・認定されるものに限りません。また、学歴とは、教育基本法の第1条に定められた学校を卒業、あるいは修了した場合に獲得できるものですが、「学習歴」は、人生の中の、ありとあらゆる学びを含みます。
英語の履歴書では、学歴を表すのに、Educational BackgroundあるいはEducational Historyといった表現を用います。ここには「最終」のニュアンスは存在せず、学びの可能性はつねに未来に開かれているというニュアンスがあります。
つまり、「最新学習歴」という概念は、社会人の学習を、いわゆるビジネススキルに直結したものに限定していないのです。
学歴で将来が保障される時代は終わった
しかし、日本においては、最終学歴が、ある意味人のその先の人生を左右する切符になっている時代がつい最近まで続いていました。でも今、「よい大学に入ればよい企業に就職できて、生涯賃金は高くなり、幸せな一生が送れる」そんな見通しを持っている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
しかも、正社員採用→終身雇用が保障されてきた時代はすでに過ぎ去り、いわゆるよい大学を出て、仮に希望する企業に就職できたとしても終身雇用は保障されません。苦労して受験勉強をしても、見返りは必ずしも大きくないのが現実です。
それでも、高校の難関大学合格者ランキングは相変わらずニュースになりますし、都市部において中学受験も活況を呈しています。そして、少しでも偏差値の高い学校に入れようと必死になる親たちがたくさんいます。
社会の厳しさを、身をもって感じているからこそ、わが子にはできるだけよい学校に行ってほしいと願うのは、子どもの幸せを願う親心でもあるでしょう。
でもそれは、ほかとの比較によって順位付けされる物差しなので、その土俵に上がらされた子どもたちに、もたなくていい自己否定や、間違った自己有能感を生み出すことにつながりかねません。ですから、私も常々偏差値型教育に疑問を呈してきました。

教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子ども達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)
本間氏も、「もちろん最終学歴も価値があります。けれども重要なのは、その中身ではありませんか? その中身を吟味することなく、ただただ学歴や学校名だけが過大に珍重されていると思いませんか?」と疑問を投げかけます。