能登半島地震、被災地で見た「地域の足」の現状 各社連携し運行、復興のカギは「現地への関心」

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取材でも使った金沢市と輪島市を結ぶ自動車専用道路、のと里山海道および能越自動車道は、徳田大津インターチェンジ―のと里山空港インターチェンジ間については、輪島方面のみ通行可能となっていた。つまり金沢方面は一般道への迂回措置が取られていた。

この区間はほとんどが七尾市と穴水町に属している。ここからも、被害が大きかったのは輪島市と珠洲市だけではないことが裏付けられる。

のと里山海道の応急路
のと里山海道の応急路=2024年4月(筆者撮影)

前述の自動車専用道路は、至る所で盛土が崩れ、応急処置として細く曲がりくねった道を通しているという状況で、通常は約2時間で行ける金沢―輪島間が、一般道とほぼ同じ約3時間もかかった。7月には途中の橋を除いて対面通行に戻るという発表が信じられないほどの状況だった。

倒れたビルが横たわる輪島市内

のと里山海道が能登有料道路として開通したのは1982年(その後無料化)と、比較的新しい。しかし2007年の能登半島地震でも、今回と同じ区間で数カ所の路面崩落などが起きている。一方で輪島からの帰路に使った一般道路は、比較的平坦な場所を選んで走っているためか、被害は軽微だった。

地震の多いこの地域の道路として、盛土を多用して山間部に道路を通すことが理想的なのか、考えさせられた。

輪島市の惨状はニュースで多くの人が見ているとおりで、朝市が行われていた付近は一面が焼失したまま。交差点には倒れたビルが横たわっていた。ただし道路には新たに車線が引き直されるなど、臨機応変な対策も確認できた。

輪島市内の倒壊したビル
輪島市内の倒壊したビルと引き直された車線=2024年4月(筆者撮影)
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