イルカの命は、ほかの動物よりも尊いのか 太地町出身の弁護士が問う、欧米の傲慢

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生き物を追い込んで捕まえる手法は、昔から人間がとってきた狩りの手法です。私自身、子どもの頃、友人と川魚を追い込んで捕まえる遊びをやっていましたが、残酷であるという認識はなかったし、「残酷だからやめるように」としかられた覚えは一度もありません。

その後、学校帰りに魚市場でイルカやゴンドウクジラを解体するのを見ていたときに、つい「かわいそうだ」と思って口に出してしまい、無骨な漁師さんから「無駄にせんと、ちゃんといただかなあかんで、命をいただいたんやから」と突然、説教されました。おそらく今回の事件は、捕鯨に関する問題も、背景に含まれているのでしょう。

人間は、生きていくうえで、やむをえずほかの生物の命をいただいています。ニワトリ、牛、豚、魚、野菜もそうです。人間が生き物である以上、これは仕方のないことです。統計を見ると、欧米人の肉の摂取量は日本人よりも多いので、欧米人は、日本人よりも多くのニワトリ、牛、豚などを殺すことを容認していることになるでしょう。

その屠殺現場をどれだけの欧米人が目にしているのでしょうか。そこで殺されて食用にされる、ニワトリ、牛、豚はかわいそうではないのでしょうか。それらの命は、彼らにとっては命ではないのでしょうか。イルカやクジラは賢い動物だからという反論もあるかもしれないが、賢い動物の命がそうでない動物の命よりも尊いとなぜ言えるのか、私にはわかりません。

欧米の”偏愛”にこそ、伝統はあるのか

欧米のクジラ・イルカを偏愛する価値観も、昔からの伝統があるのものではありません。クジラをかつて鯨油目的で大量殺戮してきたのは欧米です。ペリーが浦賀に来航したのも、捕鯨基地の確保が狙いのひとつでした。クジラを乱獲して、大幅な減少を招いてしまいました。

クジラに関する文献には「アメリカ式帆船捕鯨で欲しいのは、クジラの体全体からすると1割に過ぎない脂皮からとれる油だけである」「鯨皮以外の鯨肉、内臓、骨はすべて捨てて、次の獲物を狙い航海を続けていった」(小松正之著『クジラ その歴史と文化』より)とあります。

日本の捕鯨では、クジラの脂肪・肉はもとより、皮・筋・ひげに至るまでも利用してきました。自分たちが生きていくために命をいただいた生物に対するせめてもの礼儀だからです。クジラを供養する石碑も太地町にはあります。

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