「あの人とはわかり合えない」の前に必要な思考法、価値観が違っても対話を 教育を語るときにやってしまいがちなこと

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あるいは「部活動は生徒指導の一環でもあるので、外部指導者や地域に任せるのは難しい」という主張がある。ここでいう生徒指導とは何かということも議論していくべきだろうが、生徒指導=教員がやるべきことと単純に当てはめると、際限なく教員の仕事は広がってしまう。また、生徒指導上の問題や悩みがあるとすれば、それは部活動だけで解決するものとは限らない。

もう1つ、別の例をあげよう。「校則をゆるめて、数年前の荒れていた頃の中学校に戻ったら、どうするんだ?」という主張がある。生徒の頭髪や服装への細かな校則が、なぜ問題行動などの抑止になるのかが説明されていない。

逆に、校則をゆるめて、例えば化粧をする生徒が出てきたとして、それが問題行動などと言えるのだろうか。もしくは、校則の必要性を述べる人の前提として、「派手な髪型や化粧=中学生らしくない」、「中学生らしくないこと=制限してよい」という「カテゴリー適用法」があるのかもしれない。

誤解してほしくないのは、率直な意見やアイデアを述べるな、と申し上げているのではない。むしろ、思い付きや素朴な疑問などが議論を深めることにつながるときもある。

ただ、アイデアや主張の背景にある論理が妥当なのかどうか、前提としている認識は正しいのかどうかなどを、少し立ち止まって吟味していくべきときもある、ということだ。意見や価値観がちょっと違うなと思う人たちとも、対話、議論することを楽しんでほしい。

(注記のない写真:Lukas / PIXTA)

東洋経済education×ICTでは、小学校・中学校・高校・大学等の学校教育に関するニュースや課題のほか連載などを通じて教育現場の今をわかりやすくお伝えします。
妹尾 昌俊 一般社団法人ライフ&ワーク代表理事、OCC教育テック大学院大学 教授

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せのお まさとし / Masatoshi Senoo

徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー。主な著書に『校長先生、教頭先生、そのお悩み解決できます!』『先生を、死なせない。』(ともに教育開発研究所)、『教師崩壊』『教師と学校の失敗学』(ともにPHP研究所)、『学校をおもしろくする思考法』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中。

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