「提言」あるいは「通知」という意味
ところで、中教審の「提言」や文科省から教育委員会への「通知」というのは、やったほうがよいですよというお勧め案であって、法的な強制力は何もない。意地の悪い言い方をすれば、「紙切れ一枚で何が変わるというのか」という見方もできる。
実際に2019年に中教審で働き方改革の答申が出て、その後、文科省は教育委員会に何度も働き方改革を進めるように通知を出しているが(今回の緊急提言や通知でも過去に呼びかけてきたことの焼き直しのものもかなりある)、前進したものもあれば、ほとんど無視されているものもある(「答申」というのはそれなりに重みはあるが、やはり強制力はないのは同じ)。
じゃあ、意味がないのか、と言われれば、どうだろうか。評価、見方が分かれるところかと思うが、今回の「紙切れ」を使うも使わないも、その人、その組織次第なところはある。
学校での働き方を正常化していくためには、学校や個々の教員の努力や意識改革だけでは限界があるし、文科省の施策だけでも無理がある。例えば、「教員数を2倍にすれば解決するじゃないか」と言う現役教員や評論家がたまにいるが、どこに財源と人があるのだろうか。教職員定数の改善もとても重要だが、それだけで解決するものではない。
文科省はよく「総力戦」という言葉を使っている。国民に多大な犠牲を強いたあの戦争中の言葉を、政治家や官僚が気軽に使うのはいかがなものか、と私は感じるが、国、自治体(教育委員会)、学校それぞれができることをやっていくしかない、ということは真実だと思う。
また、ラストチャンスかもと述べたが、家庭や社会も理解を示し、賛同できることは応援してほしい。例えば、下校途中に公園で小中学生が騒いでいる。うるさいという苦情がなぜか学校に来て、教頭や生徒指導の先生が謝ったりする。しかし、これは学校管理外のことなので、家庭責任の領域だ。学校が対応する問題ではない。
学校行事の一部や日頃のコメント、通知表などは今後もっと簡素になっていくかもしれない。部活動も一部は閉めざるをえないかもしれない。学校と教員の業務を一部は減らしていかないと、本当に必要なところに時間も頭も使えない。
これまで保護者などの反対が出てくる可能性のあることには、多くの校長らは遠慮がちだった。だが、昨今の情勢を見ると、もはやそういう段階ではないと思う。今回の大臣メッセージや緊急提言などで、いいと思ったところは、多くの人で共通認識を持って、進めてもらいたい。
(注記のない写真:東洋経済撮影)
執筆:教育研究家 妹尾昌俊
東洋経済education × ICT編集部
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