「歴史総合」でも未だ危機的な過積載、かぎ握る大学入試には高大連携が不可欠 世界史部分と日本史部分で教員交代の残念さ

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高等学校学習指導要領では、

(1)現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解する力、諸資料から歴史に関するさまざまな情報を調べまとめる技能
(2)近現代の歴史の変化に関わる事象の意味や意義・特色などを、多面的・多角的に考察する力、歴史に見られる課題について解決を視野に入れて構想する力、歴史について議論する力
(3)近現代の歴史について、よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究する態度

 

とされている。これらについて小川氏の解釈は以下のとおりだ。

(1)歴史の実証・解釈・批評(意義づけ)をファクトに即して考える力、さらには、ファクトに即することの困難さを自覚しつつ考える力
(2)ローカル・ナショナル・リージョナル・グローバルの4つの空間スケールで歴史を多層的に実証・解釈・批評する力
(3)多様な歴史主体に着目しつつ、政治・経済・社会・文化の構造を捉えるような、「アリの目」「鳥の目」の両方で歴史を考察する力。
(4)歴史について考察したことを他者と対話し、自分自身の考え方の問い直しをする力

 

小川氏自身も学習指導要領作成に協力し、新科目の「歴史総合」には可能性を感じているが、一方で課題感も持っているという。

過積載は危機的状況、教科書会社もいまだ対応は不十分

「現状の歴史総合の教科書は、従来の日本史と世界史の近現代の記述を交互に掲載するだけで相互のつながりが薄く、依然として歴史用語の過積載の習性が抜けていません。『世界はこうであり日本ではこうだった』という並列の記述にとどまっており、『総合』とは言えません」

授業もすんなりと進んでいるわけではないようだ。

「いちばん問題なのが、近現代史の記述内容があまり精選されていないところに、コンピテンシーベースを実現するための資料や問いが重ねられ、教科書の分量がかえって多くなっていることです。教員側も、これでは到底1年で授業を終えることができないと頭を抱えています。教科書は世界史の研究者たちと日本史の研究者たちの共同執筆によって書かれるので、自分の専門分野ではせめてこれくらいは学んでほしいと、どうしても多めに書かれてしまいます。しかし、今後教科書は本文の歴史用語を抑制し、日本列島史と外国史のつながりや比較を明確にするような叙述の再構成が必要だと私は考えます。そして、各国史の集積だけにせず、グローバルな見取り図をレイヤーのように重ねるような工夫が大切になるでしょう」

ちなみに欧米の歴史教育は自国の歴史が中心であり、外国史は自国とつながりがある範囲内のみを学ぶケースが多いという。日本は明治維新をはじめ戦後も外国から学ぼうとする姿勢を取っていただけに、外国史の研究者が多い。これだけ広範囲の外国史を高校生に学ばせている国は世界で見ても独特なのだそうだ。とはいえ、課題は分量だけではない。

「歴史総合は、とくに思考力と主体性の観点から成績をつけるのが難しい。現状、教科書には問いが掲載されていますが、その答えは本文を読めばわかってしまいます。これでは、教科書の読み取り能力を問うているにすぎません。言うなれば国語力の問題です。そこからもう一歩踏み出すには、例えば、『フランス革命やアメリカ独立革命と明治維新は何が共通していて何が違ったのか』といった問いを立てる必要があります。しかし、こうした問いに対応するには資料集めをはじめ準備に相当な時間がかかります。”考える歴史”に転換するには、教員の力量も必要なのです」

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