会社の新人研修が前倒しされて高校国語に
2022年度導入の新学習指導要領で、高校国語が再編された。中でも話題を呼んだのは、共通必履修科目の「国語総合」(4単位)が、「現代の国語」と「言語文化」(各2単位)に分かれた点だ。「現代の国語」は論理的・実用的な文章、「言語文化」は上代から現代までの文学作品などの文学的文章を扱うと捉えられており、さらに選択科目が「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」(各4単位)と定められた。
今回の高校国語再編の意図を、愛媛大学教育学部講師の清田朗裕氏はこう解説する。
「かつて若者が『金の卵』と言われた時代は、いち早く社会に出て労働力となることが望まれました。しかし、現代の子どもたちが生きるのは、文部科学省や中央教育審議会が定めるところの『知識基盤社会』です。さらに今後は、世界をも相手にしなければならず、OECDが行うPISAの結果なども踏まえて世界の同年代の子どもたちが持つ力を意識した教育も必要になりました。今回の再編は、日本の子どもたちが知識基盤社会を豊かに生きるための資質・能力の育成を目的としています」
新学習指導要領は、高校国語で目指す資質・能力として、①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等、という3つの柱を掲げている。
「従来の高校の授業は、教員が一方的に『AとはBだ』と結論を教え、その板書を生徒が書き写すスタイルが主でした。それが新学習指導要領では、『言語活動』を重視した授業へと変わっています。例えば、教員が『Aとは何か?』と投げかけ、生徒がそれを自ら考え議論するプロセスが重視されるのです。ただし、こうした授業を十分に行うには、実際はもっと時間が必要です」
「知識基盤社会」ではとくに「聞く力」「話す力」が必要になると清田氏は語る。実際、生徒の多くが卒業後すぐに就職する高校では、「国語表現」という授業でプレゼンテーションやディスカッションに向けた指導が行われてきた。今後はこうした動きが全国的に広がることになるが、これらは今まで、主に会社の新人研修でも扱われてきた内容だ。
「入社後の研修期間は年々短くなっており、社会人の基本的なスキルを育成する機会はどんどん前倒しされています。そのシワ寄せがついに高校に及び始めたとも考えられます。ただ、教育内容と実社会には10年のタイムラグがあるといわれています。例えば、新学習指導要領の作成時にChatGPTの出現はまったく予想されていなかったでしょう。今後はこうした社会の動きに合わせたアップデートがなされるべきです」
「国語総合」の分断で授業がやりにくくなるおそれ
では、実際の学びにはどんな変化が起きるのだろうか。
「結果よりプロセスが重視されることで、生徒は自分の思考過程を自覚し、より合理的で効率的な見方ができるようになるでしょう。探究的な活動も増えるので、主体的かつ対話的に考える力も伸びると思われます。一方、『国語総合』が『現代の国語』と『言語文化』に分かれたことで、授業がやりにくい部分もあると思います」
前述のとおり、「現代の国語」の授業では論理的な文章と実用的な文章を、「言語文化」の授業では文学的な文章を扱う。科目の分断が、どう影響するというのか。
「『現代の国語』と『言語文化』で育成する能力は、教員としては一緒に伸ばしていきたいものなのです。例えば、契約の場面を考えてください。契約書は一文一意の文章です。これを読み解いて理解するだけなら、『現代の国語』で上辺だけ文章をさらえば事足りるでしょう。
しかし、実際の契約は論理的・実用的な文章のやり取りだけで成り立つものではありません。そこには必ず、感情や心情が絡む人間同士の関わりがあります。会話の中で、書面にはない情報を教えてもらったり、トラブルに発展する前に懸念を解消することも必要です。『現代の国語』の目的に、実社会における実践的な社会経験を積ませることがあるなら、むしろ、文学的な文章とトータルで、相手の心情や多種多様なシチュエーションを押さえながら学ばせるべきなのではないでしょうか」
文章ジャンルで科目を分ける意味はあったのか
また、科目を文章ジャンルで分けたことで、俯瞰的・統合的に捉える力が伸ばしにくくなった可能性もあると清田氏は指摘する。
「例えば、科目が『年代』で分かれていれば、時代背景を同じくしたさまざまな文章を横断的に網羅できます。しかし文章のジャンルで分けると、たとえ同じ題材を扱った文章であっても、『この文章は取り上げられない』ということになります。現場の教員はこれまで、知識と知識を結び付ける授業を意識していましたが、今後はそれが難しくなるおそれがあります」
一方で「現代の国語」の登場には、従来の国語教育の反省も見られると清田氏は語る。
「実用的な文章が社会にたくさん存在することは事実です。それにもかかわらず、長い間これらを国語教育で十分に取り上げてこなかったのは反省すべき点でしょう。だからこそ、『現代の国語』という科目として独立させてまで『実用的な文章を取り上げてください』と要請したのは効果的だと思います。『国語総合』のままで要請しても、結局は現場の裁量で従来と同じ授業が行われ、実用的な文章は扱われなかった可能性もあるでしょう。ただし、実用的な文章を扱うなら、その教育的価値を考える必要があります。なぜ、社会の公民ではなく国語で契約書を扱うのか。契約書を読ませること自体が目的なのか。現役の国語の先生には契約の専門的な知識や経験があるわけではないので、戸惑いが生まれるのも当然でしょう」
「言語文化」では上代から現代までの文学作品を扱う。一方で、近現代の作品や、より感性や情緒の関わる作品については選択科目の「文学国語」がカバーする。
「『文学国語』を選択しない場合、共感力や豊かな想像力を育成する機会は少なくなると考えます。また近現代の文章には、現代に至るまでの社会問題を取り上げたものも多くあります。生徒の中には当事者がいる可能性もありますから、授業では道徳的配慮も必要です。『論理国語』の直接的で生々しい文章だと他人の事のように感じられるテーマも、文学のフィルターを通すと自分の事として考えやすくなり、時代背景や社会背景を踏まえた自然な理解を促すことができます。小説を読む意義は、単なる楽しさだけでなく、社会的な問題に触れて自分自身の生き方や考え方を見つめることもあるのです」
文章ジャンルより「資質・能力」を重視して
今回の再編に伴う変化は、いつ頃どんな形で表れるのだろうか。
「2022年度に入学した高校生が卒業して社会に出るタイミング、つまり2年後もしくは6年後から社会への影響が表れるでしょう。彼らはICTを活用した授業を受けていますし、学習指導要領でも情報処理・情報の比較検討に関するスキルが重視されています。入社後は即戦力となり、社員として優秀な人材となるでしょう。
しかし、処理した情報を扱うのはあくまで人間ですし、チームで仕事をする際はコミュニケーションが欠かせません。相手の情緒を理解して思いやる能力は、『言語文化』『文学国語』『古典探究』で育成されるのではないでしょうか。これらの科目を選択しなかった場合、どうなるのだろうという懸念もあります。もちろん、授業だけでなく地域活動や課外活動にも学びはあるはずですから、生徒には学校外でもいろいろな人と関わり、聞く、話すという経験を積んでほしいですね」
言葉や文章は単なるツールではなく、人の思いや文化、時代背景をも含むものだ。自分や社会と向き合うきっかけや、この世界を生きる武器にもなる。高校国語に関する議論では「文章ジャンル」が争点となりがちだが、いま一度、「生徒にどんな資質や能力を身に付けてほしいか」に立ち返る必要がありそうだ。
※本内容は日本学術振興会の「JSPS若手研究20K13999」の成果の一部です
(文:吉田渓、編集部 田堂友香子、注記のない写真:studio-sonic / PIXTA)