横浜市・山内小学校校長が語る「不登校」公立で受け皿つくる意義とは? 「校内フリースクール」学校はどう変わったか

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不登校の子どもが増える中、その対応策の1つとして注目される校内フリースクール。それが今、公立の小・中学校に広がり始めていると聞けば、驚く人も少なくないのではないだろうか。横浜市立山内小学校では、「誰一人取り残さない」というスローガンを掲げ、子どもだけでなく、保護者も先生も「誰一人取り残さない学校」を目指し、教育現場の改革を進めている。今回はその旗振り役である同校校長の佐藤正淳先生に話を伺った。

公立小学校が変えられることは、まだまだある

横浜市青葉区にある横浜市立山内小学校(以下、山内小学校)は1873年に創立され、来年150周年を迎える市内有数の歴史を誇る公立小学校の1つだ。住宅地が広がる東急田園都市線あざみ野駅から程近い場所に位置し、児童数は700名超と市内小学校では中規模クラスの大きさ。会社員家庭の子どもが多く、私立中学校に進学する児童も3割強いる。児童指導は丁寧で、教科担任制も市内で先んじて導入してきた。ある意味で都市部の住宅地にある優等生的な公立小学校と言えるかもしれない。だが、そうであるからこそ、佐藤正淳先生が2019年に校長として着任した当初、学校の体質としては何事に対しても石橋をたたいて渡るような保守的な態度が目立ち、至るところで守りの姿勢が感じられたという。

「守備に徹することは大事であり、手堅い学校であることは確かによいことですが、その分、前例踏襲となり、チャレンジすることが少ない学校であるように感じました。そして、保護者の顔色を気にしすぎたり、失敗を恐れすぎたりしている面も多くあったように思います。私はもっと楽しい学校にしたい、もっとワクワクする学校にしたいと考えるようになりました」

子どもたちが好きで、学校が好き、もっと現場をよくしていきたいという気持ちにあふれる佐藤先生
(写真:山内小学校提供)

そう語る佐藤先生は1989年に横浜市立あざみ野第二小学校から教員人生をスタート。95年から在籍した横浜市立西前小学校では特別支援学級を5年間担当し、2005年からは3年間、ルーマニアのブカレスト日本人学校に勤務。帰国後、横浜市立白幡小学校で教務主任や副校長を歴任し、13年からは6年間、横浜市教育委員会事務局教育政策推進課で「横浜教育ビジョン2030」の策定や働き方改革の推進などに取り組んだほか、文部科学省の業務改善アドバイザーとしても活躍したキャリアの持ち主だ。

「教育行政には、やってもよいホワイトゾーンと、やってはいけないブラックゾーンがあります。ただ、実はその間にはグレーゾーンの領域がたくさんあるのです。しかも、そのグレーゾーンには明確なルールがない。だから、多くの学校では新しいことになかなか取り組めないのです。しかし、私はそうは考えませんでした。こんな学校を子どもたちのためにつくりたい。そんな確固としたビジョンを掲げ、その実現のために、この取り組みをやる。もしその取り組みにルールがないなら、自分たちでつくればよいと考えるようになりました」

不登校の子どもを救う「校内フリースクール」

そこで佐藤先生が掲げたビジョンこそ、「誰一人取り残さない学校」を実現することだった。共通言語「あったかハート」の下、学級、学年、学校、保護者、地域と学校に関連する機能を階層に分け、各階層で何が課題なのか。その課題解決に取り組むための全体像をつくり、それを基に次々と新たな施策を打ち出していったのだ。その1つが校内フリースクール「あったかハートルーム」の設置だった。

「私が着任してすぐにこんなことがあったのです。2年生から不登校で、5年生になった児童が1年ぶりに勇気を出して学校に来たのですが、保健室も相談室も使われており、居場所がない状態になっていました。そこで『僕はどこで過ごしたらいいの?』と悩む児童に直面し、不登校の子どもがいつ来てもいい、いつでも安心できる場所をつくれないかと考えたのです」

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