動画配信すれば、高校を中退した生徒にもリーチできる
山﨑圭一氏が動画配信を始めたきっかけ。それは人事異動だったという。
「当時勤務していた高校では、2年生で古代と中世、3年生で近現代を教えることになっていました。担当していた2年生の生徒に、『3年生の近現代はもっと楽しいよ。受験まで一緒に頑張ろう!』と言っていたのですが、人事異動になってしまって。生徒から『先生の授業を続けて受けたい。授業の動画配信をしてほしい』と言われたのです」
こうして生徒の要望に応える形でチャンネルを開設したのが2014年のこと。それ以来、授業に校務、部活の指導も行う多忙な毎日の中で、終業後や休日に「力業で時間をつくり」授業動画を制作。教材と併せて、自身のホームページで公開している。
なぜ、そこまでやるのか。そこには、現役教員ならではの思いがあった。
「私たち教員は一斉授業を行いますので、1クラス40人が80点を目指すような内容にせざるをえません。しかし、生徒の中には『社会が苦手で理解できない』という子もいれば、『もっと高度なことを学びたい』という子もいます。経験上、1クラスの80〜85%の生徒は学校になじみ、学校生活を楽しんでいます。一方で、10〜15%の生徒は学校になじめなかったり、勉強についていけなかったりして、中にはやむにやまれず退学してしまうような場合もあります。
そんなとき、授業動画があれば学校以外にも学びの場があり、高卒認定などの再チャレンジの場があることを示すことができます。留学中の学びや欠席時の補講など、これまで手が届かなかったところにもリーチできるのです」
また、多くの学校でよくあるのが、歴史の授業を古代から始めるものの途中で時間が足りなくなり、第2次世界大戦で1年が終わってしまうというケース。しかし、現代を生きるわれわれにとっては、戦後の現代史は重要な部分だ。「授業時間が足りなくなったり、駆け足になってしまいがちな現代史を授業動画で学ぶことができれば、今を生きる自分と歴史のつながりを確認できる」と山﨑氏は話す。
それだけではない。授業動画があることで、公立高校ならではの受験システムの「穴」を埋められる可能性もあるという。
「多くの学校では、まだ自分の適性や進路も定まっていない高校1年生の6〜7月ごろに文系か理系かを選択することになるのですが、『やっぱり自分は理系ではなく文系だ』と進路を変える場合もあります。そのため途中で文系に変更した場合、歴史の前半を教わらないまま受験に臨むことになり、不利益が生じます。そんなときも授業動画があれば、ある程度はカバーできるはずです」
山﨑氏の目的はYouTubeの再生回数を上げることではなく、さまざまな理由で授業を受けられなかった生徒に高校社会科の授業を届けること。そのため、ほかのYouTuberのような、再生回数を上げるテクニックは使わず、普段の授業と同じスタイルで収録する授業動画の配信にこだわっているのだ。
授業動画が、ほかの教員にとってのヒントに
山﨑氏が授業そのものを届ける動画にこだわる理由はもう一つある。
「公立高校の地理歴史教員は、世界史・日本史・地理と全科目を教えることになっています。しかし、それぞれの教員には専門性があります。大学時代に世界史を専攻していた教員が地理を教えているというケースもよくあります。また、自分の専門の科目を教えるときでも、教員経験が少ないと、教え方や話の組み立てなどで迷うことも。そんなとき、授業動画があれば、生徒の補講用として使えるだけでなく、教員にとってもヒントや参考になるのです」
しかし、現役教員が動画配信を続けることに、周囲から反対などはなかったのだろうか。
「学校の先生たちは思った以上に皆さん応援してくださっています。というのも、教員は授業づくりのヒントをつねに求めています。しかし、研究授業の機会は限られていますし、ほかの先生の授業を見たりアドバイスをもらう機会も多いとはいえません。ですから、どんなヒントでも欲しいのです。そこで私の授業動画を1つのサンプルとして見てもらい、『このくらいのスピードで話せばいいんだな』『板書にはこのくらい時間がかかるんだ』など、よい面でも悪い面でも何かしらのヒントにしてもらえたらと思っているのです。それが全体の教育水準の向上につながるはずです」
チャンネル開設に当たっては、仕事や周囲に支障が出ないよう、対策を取っている。
「動画をアップすることについては弁護士さんと相談し、どの範囲までできるかを確認しました。そこでわかったのは、『広告は入れない』『特定の学校名や生徒の名前を挙げない』などを守って公共の福祉に反しない限りは、公立学校の教員も授業動画を上げられるということ。むしろ、『公立学校の教員は全体の奉仕者。授業動画やノウハウを広く公開するほうが、公立学校の教員のあり方としては正しいのではないか』と考えました」
これまで世界史と日本史で各200本、地理で178本の授業動画を制作している山﨑氏。普段の授業やコロナ禍による休校時に、授業動画を活用することはあるのだろうか。
「それはありません。勤務校で採用している教科書や、生徒の実態に合わせなければなりませんから。授業は、その学校で採択した教科書を使い、生徒の実態や活動に合わせています。動画のノウハウを授業に生かすということはなく、むしろ授業で培ったノウハウを動画で生かしています。2020年のコロナ禍ではZoom授業も行ったのですが、通常の対面授業でも、授業動画でも、Zoom授業でも、大切なことは同じ。きちんと相手を意識して話すことです」
実際の授業では、目の前に生徒がいる。生徒が何に関心を持ちやすいか、どこでつまずいているかをリアルタイムで確認し、時には生徒同士で話し合う時間も設ける。そうした経験の一つひとつが教員の中に蓄積されていく。授業動画を制作する際に、その蓄積が生きてくるのだという。
「予備校の先生やほかの教育系YouTuberの方が教える対象は能動的に学ぼうとしている人ですが、学校教育の場合、そうとは限りません。そこで、私たちは勉強が苦手な生徒やその教科が嫌いな生徒がどうすれば理解できるかをつねに考え、生徒とコミュニケーションを取りながらノウハウを積み重ねています。だからこそ、もっと多くの教員が授業動画の配信を行って、そのノウハウを表に出していったらいいと思うんです」
動画から生まれたコミュニティー
学びを必要としているのは高校生だけではない。山﨑氏のYouTubeチャンネルには小中学生から高校生、大学生、社会人、現役教員まで幅広い人々がアクセスし、視聴している。
「社会科を学ぶ必要性は、社会に出てから増してくると思います。学校で世界の歴史や金融について学びますが、実際に社会に出て金融に携わったり、違う文化を持った外国の人と仕事をして、『もっと勉強すればよかった』という欲が出てくるもの。むしろ社会人のほうがもう一回学び直したい、体系的に勉強したいという気持ちになるのでは」
そう語る山﨑氏の今の目標は、世界史・日本史と同じく、地理でも200本の動画をアップすることだという。
「もう一つ、私の動画を見てくださる方とのコミュニティーを育てていきたいですね。コロナが収まったら、授業動画に出てくる場所へみんなで旅をしたり、博物館に行けたらと思っています。動画配信を通じて全国の先生とのつながりもでき、コロナ禍前は東京や札幌、新潟、大阪など各地でオフ会も行っていました。そのコミュニティーでは小中学生から高校生、大学生、社会人やたくさんの先生方がいて、横のつながりを持つことができています」
学校という枠を超えて形成されているコミュニティー。その中で情報交換をしたり、新しい科目である「歴史総合」をどう教えていくかを相談できるのも強みだという。
生徒の補講や自習だけでなく、社会人の学び直しや教員の学びにもつながっている授業動画。現役教員の授業動画の充実は、今後さらにさまざまな波及効果をもたらしていくことだろう。
(写真はすべて山﨑氏提供)