池上彰氏「私は新聞をこうやって読み比べている」 新聞はどこも同じではなく、論調の違いがある
ただし、昔からずっとそうだったわけではありません。時代によって、新聞社の体制によって、論調は変化してきたのです。
たとえば、かつて読売新聞は「反権力」色の濃い新聞でした。1950年代から60年代にかけて、社会部が大きな力を持っていたからです。
しかし、今ではすっかり政権寄りの新聞とみなされています。政治部出身の渡邉恒雄氏が社内で力を持ったことが理由のひとつです。
主体的に判断する、自分なりの基準を身につけて
日本の多くの新聞社では、政治部が出世の最短コース。経済部、社会部と続きます。社内政治によるパワーバランスが、新聞の論調に大きな影響を及ぼしています。
かつて新聞ごとの論調の違いは、社説で論じられていました。各紙とも社説で意見を戦わせていました。しかし近年では、記事にも各紙の論調が明確に現れるようになってきています。
たとえば、憲法改正について、朝日新聞・東京新聞には、反対集会や批判的なコメントが多く取り上げられ、賛成する人のコメントは目立ちません。逆に読売新聞・産経新聞には、賛成する意見ばかりが多く掲載される傾向があります。
それぞれの新聞に個性・特徴が出てきたのは、けっして悪いことではないと、私は思います。もちろん、裏づけのある事実を伝えなければなりませんが、伝え方が異なるのは当たり前です。れっきとした民間企業なのですから、個性的であってかまわないのです。
一方、テレビやラジオは事情が違います。放送メディアは中立の立場を守らなければなりません。電波という限られた資源を使っているため、国の免許事業となっているからです。放送法という法律で「政治的に公平であること」などと定められています。
新聞は自由に持論を展開でき、伝え方を選べます。だからこそ、受け手の姿勢が大切です。新聞の個性に引っ張られるのではなく、読者として主体的に判断する、自分なりの基準を身につけていきたいものです。
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