北海道、リゾート化と縁遠い「旧胆振線」の疎外感 新幹線開業後は函館本線も代替バスの倶知安側
京極で下車するとき、運転士から「英語は話せますか?」と尋ねられた。聞けば入れ替わりに乗ってきた外国人は、倶知安から比羅夫地区のリゾート地へ行くのに、間違えて喜茂別行きに乗ってしまい折り返すところ。彼らにリカバリーの方法はなんとか説明できたが、改めて地図を見れば、函館本線のある比羅夫からニセコにかけての倶知安町南部からニセコ町までは、一大リゾート地になっていることを再認識できた。海外での評価も高く、コロナ禍前はインバウンド客でにぎわっている様が、マスコミの報道などで伝えられた。
新型コロナウイルス感染症の流行で観光業は大打撃を受けたとは言え、2020年度の町村民1人あたりの地方税はニセコ町が17万3000円(蒲郡市や野洲市と同レベル)、村域に鉄道が存在したことがない留寿都村が15万7000円(郡山市や伊東市と同レベル)と、大都市近郊や中規模の産業都市並みだ。リゾートとは縁が薄い喜茂別町は12万8000円で、差が付けられている。
ちなみに札幌市を含む北海道の平均は13万2000円だ。事情は異なるが、京極町の町民1人あたりの地方税収入は61万9000円と桁違いに多い。これは町内に建設された、北海道電力京極発電所からの固定資産税収入が大半を占めるため。どちらにしろ、鉄道があろうとなかろうと、市町村の豊かさとは関係ないとの実例がここにもあった。
ルスツリゾートを例にすると、1970年代に始まったスキー場開発がルーツで、バブル景気以前の1982年からは現在の経営者である加森観光の手で拡充が図られた、息の長い事業だ。今は札幌や新千歳空港との間を直営のアクセスバスで結んでおり、一部は無料。道南バスもリゾート地内に停留所を設けているが、主な利用は従業員の通勤と見られる。
元より、計画時から胆振線は当てにされていなかった。同じ道内のトマム・サホロ地区のリゾートホテルと国鉄がタイアップして、専用アクセス列車「アルファコンチネンタルエクスプレス」が運行を開始したのは、胆振線廃止直前の1985年12月21日。ホテルが石勝線の駅の至近にあり、新千歳空港と鉄道で直結されている好条件から、ホテル側が企画した列車である。鉄道利用では不便なルスツではこれは考えられず、ましてや廃止が確定的な胆振線が、リゾート地のアクセスを担える見込みはなかった。
新幹線開業後は函館本線も消える
京極バスターミナルを16時27分発のバスで離れ、倶知安まで最終コース。30分弱で到着する。運賃は440円。夕暮れ時に中心都市へ向かう便が混雑するはずもなく、わずかな乗降客があるばかり。国道沿いには、相変わらず大規模な農園が広がっている。
倶知安のバスターミナルはJR函館本線の駅の脇。胆振線代替バスだけではなく、比羅夫方面や真狩経由留寿都方面へのバスも、同じところに発着する。ここも待合室は完備しており、帰宅する高校生が集まっている。17時05分発の喜茂別行きに、その多くが乗り込んだ。現在、喜茂別町や京極町に高校はなく、最寄りの高校に進学するとなると倶知安もしくは留寿都になる。
北海道新幹線新函館北斗―札幌間が開業(2030年度末の予定)すると、函館本線長万部―倶知安―小樽間は廃止、バス化の計画だ。この駅も新幹線駅へと改築され、バスターミナルも駅に併設。函館本線代替バスは倶知安喜茂別線と同じ場所に発着することになるだろう。その頃、旧胆振線沿線がどうなっているかは、なかなか想像しづらい。
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