三者面談を秘密録音? 難しくなる一方の保護者対応トラブルに直面する学校 保護者の知識と行動力が「教師を上回る」時代に

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(写真: mits / PIXTA)

私はかねて、保護者の出す要求の中身に応じて、それが妥当かどうかを考えるべきだと主張してきました。学校が聞く耳を持つべき「要望」なのか、学校の守備範囲を超えているが完全に否定はできない「苦情」なのか、それとも最初から何ともならない「無理難題要求(イチャモン)」なのかの区別です。30年ほど前から学校への苦情や無理難題は増え続けていますが、この10年間で気になるのは法的な理論武装を伴った保護者の主張が目立ち始めたということです。

法化社会の到来

教師にとっては、多くの子どもたちを公平に扱う必要から、保護者からのすべての要望に応じられないことが多くあるのですが、「お説ごもっとも」と言わざるをえない事態が増えつつあります。それをもたらしたのが2013年に議員立法として成立した「いじめ防止対策推進法」の存在です。この法律は「被害者主観」に基づき、「嫌だと感じた」すべての行為を「いじめ」と判定し、被害者には支援を、加害者には指導とその保護者への助言を学校側が行うことが義務とされました。これにより被害者の保護者と加害者の保護者が双方ともにいきり立ち、間に挟まれた教師たちは身動きが取れなくなっていくことが多くなりました。

かつてのように、仲直りの場を設けるとか、子どもたち自身で解決するチャンスが失われ、法的に決着をつけることが優先される構造になりました。すなわち教育の世界に、もめ事の最後はすべて裁判所に行くかのごとき「法化社会」が到来したのです。保護者にとってみれば、インターネットでいくらでも情報が手に入り、「どうするのがよいか」の手段の行使は容易になったのです。つまり保護者は勉強して賢くなっているのに比して、学校側は多忙さも関係して、従来型の「勘」と「経験」と「気合」という3Kで向き合うために、ほぼ勝負は見えています。

保護者対応トラブルの難しさ

かつて「クレームは宝の山」とか「顧客満足を高める」ことが民間企業の発展にとって大事なことだといわれてきました。しかし今や必要不可欠な苦情対応はしますが、度を超えたものはシャットアウトする方向に舵が切られています。そして苦情のポイントは、あくまでもその「商品」そのものであって、責任を負うのもその限りです。カスタマーセンターやコールセンターを活用した組織的対応をして、収益につながる範囲で最大限の努力はしますが、対応不能の線引きも合理的に行います。

ところがサービスという、人が介在する第3次産業の苦情対応は、そう簡単ではありません。病院の看護師、福祉施設の介護士など、人が人を相手に行う仕事を、とくに「対人援助職」と言います。学校の教師もそれに該当するのですが、「してもらって当然」という意識が浸透している中では、苦情対応そのものが利益を生み出すことはほとんどなく、むしろ徒労感のほうが勝ります。感謝されることが少なくなり、わずかのミスから、能力の適否だけでなく人格批判を伴うことが多くあるので「燃え尽きる」あるいは「心が折れる」ような状態になる危険性が高いのです。

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