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トヨタがいずれ求められる「豊田に頼らない」経営 佐藤新社長は「非創業家」として6人目の社長

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豊田家から非豊田家出身者へ──。今回の社長交代は歴史的な節目となる。

歴代社長の豊田章男氏、豊田章一郎氏、豊田喜一郎氏
創業者の豊田喜一郎氏(右)の長男・章一郎氏(中央)に続く豊田直系社長だった章男氏(左)
(右写真 撮影:尾形文繁、中央写真 撮影:高橋孫一郎、右写真:トヨタ自動車)

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トヨタ自動車の12代目社長となった佐藤恒治氏は、「豊田」姓を冠しない6人目の社長だ。トヨタの歴史上、豊田家から非豊田家出身者への社長交代は、今回を含めてわずか3回しかない。

最初は1950年。終戦後のインフレ対策の超緊縮財政に端を発した「ドッジ不況」による経営悪化と、人員整理をめぐる労働争議の責任を取って、創業者の豊田喜一郎氏が社長を辞任。豊田自動織機製作所社長だった石田退三氏が後を継いだ。

「トヨタの大番頭」として知られる石田氏は、トヨタ初代社長の豊田利三郎氏(豊田佐吉氏の婿養子)と遠い縁戚に当たる。喜一郎氏の社長復帰を望んでいたが、肝心の喜一郎氏は病で他界してしまった。石田氏は約11年社長を務め、「トヨタ銀行」とも呼ばれる優良な財務体質をつくり上げた。

石田氏の後、帝国銀行(現三井住友銀行)出身の中川不器男氏を挟み、社長に就いたのが喜一郎氏の従兄弟である豊田英二氏だ。33年に豊田自動織機に入社し、喜一郎氏の自動車事業の立ち上げを手伝った。石田社長時代に「クラウン」の開発や元町工場の建設も主導。社長・会長としてトヨタのグローバル化の基盤をつくった。

過去2回の交代は不測の事態によるもの

82年、満を持して喜一郎氏の長男・豊田章一郎氏が社長に就く。米国で「レクサス」ブランドを立ち上げるなどグローバルな経営基盤を固め、実弟の豊田達郎氏にバトンタッチ。

だが、達郎氏が病の療養で退いたため、奥田碩氏が社長に就いた。つまり過去2回の非豊田家出身への社長交代は、不測の事態によるものであった。

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