"名門"恵泉女学園大が「募集停止」に至った背景 「早慶MARCH」は年々、女子学生が増えている
また、短大以上に恵泉のブランド力を支えていたのが、恵泉女学園中学高校である。教育熱心な保護者に人気があり進学校として知られている。難関大学合格者は次のとおり。
1993年:東京大1人、一橋大1人、東京外国語大3人、慶應義塾大10人、上智大9人、早稲田大19人
2022年:東京大1人、東京外国語大1人、防衛医科大学校1人、慶應義塾大6人、上智大18人、早稲田大9人
(1993年は大学通信調べ、2022年は学校ウェブサイトから引用)
「恵泉」ブランドを守る最善の策では
もっとも、恵泉女学園中学高校から恵泉女学園短期大、恵泉女学園大に進む生徒は少なかった。フェリス女学院、神戸女学院などのように付属、系列校が進学校として確立しているケースと同じである。
恵泉女学園大の募集停止をどう見たらいいか。
大学の世界から退くという経営判断は正しいといえる。他の女子大では、コンサルタントの指南で需要があるとされる看護学部を設置したが、そこでも定員割れを招き失敗しているケースもある。恵泉がこうした分野に手をださなかったのは賢明だった。いつまでもブランドにしがみついて大学経営を続けることをしない、というのは、「恵泉」ブランドを守るために最善の策であろう。
それでも、「恵泉」の一つがなくなるのは、さびしい。
学校法人恵泉女学園は、第1次世界大戦後の1929年、「広く世界に向って心の開かれた女性を育てなければ戦争はなくならない」と考えた女性キリスト者、河井道によって設立された。
この思いは、いまに伝えられている。
2015年、安保関連法案をめぐって、当時の学長は安倍政権を次のように厳しく批判していた。
私たち恵泉女学園大学の教職員有志は、それぞれの専門領域における学知と個人の良心にもとづき、大学に対して歴史や社会から付託された使命に思いを致しながら、民意と著しく乖離し、戦後日本の基本理念に背馳する安倍政権の政治手法を強く非難します。そして、この法案に反対し、その強行採決に断固として抗議します。2015年7月23日 恵泉女学園大学 学長 川島堅二 教職員有志一同>
恵泉女学園大はリベラルで自由な校風として知られていた。
時の政権にものを言う大学がなくなってしまうのは、いまの世の中だからこそ、残念でならない。
(教育ジャーナリスト・小林哲夫)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら