30年前の論争を後始末する植田日銀新総裁の因縁 岩田翁論争を裁定、大規模緩和の空振りを予言

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長く日銀取材を続ける筆者だからこそ感じる、新日銀総裁の必然と運命。この機に植田和男氏、そして金融政策の来し方を振り返っておきたい。

植田和男氏
新日銀総裁を待ち受ける前途多難(写真・Bloomberg)

「植田先生が総裁に。素晴らしい」ーー。黒田東彦日銀総裁の後任に経済学者の植田和男氏を起用する案が国会に提示された。日銀審議委員を退いて十数年経つが、総裁待望論は根強く、日銀内外で歓迎論が聞かれる。

新体制の前途には、大規模緩和の修正という超難題が待ち受けるが、植田氏にとっては30年前から関わった「金利か量か」の金融政策をめぐる論争に、総裁として終止符を打つ、という運命的なめぐり合わせでもある。

「植田、WHO?」と「WELCOME!」が交錯

植田氏起用の一報が伝わった際、多くの市場関係者は「植田さんって誰?」と思っただろう。

審議委員として日銀に在任したのは1998年から2005年まで。鋭い論客として活躍したが、退任後は学界に戻り、メディアへの露出は大幅に減った。さすがに退任して18年も経つと金融市場の世代交代は大幅に進み、「そもそも植田氏を覚えている向きは少ない」(シンクタンクのエコノミスト)のが実情であろう。

だが、植田氏を知る古参の市場関係者や日銀マンの間では、総裁候補として根強い人気を誇り続けた。経済学と金融実務の両方に精通する「稀有な存在」(複数の日銀OB)だからだ。

市場動向にも精通し、「金融市場の共感を得やすい政策論を展開していた」(大手邦銀OB)ことも大きい。筆者にとっても、植田氏は「総裁になってほしい番付」の最上級に位置していた。

ここで植田氏が注目を浴びた経緯を紹介するため、時間を1998年に戻してみたい。

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