「あの人と戦争するんですね」。戦前・戦中を代表する国際ジャーナリストの清沢洌(きよし)(1890〜1945)は1933年、当時7歳だった息子の言葉に驚き、憂鬱になったという。
「あれは支那人じゃないの?」と壁に掛けてある写真を指さして聞く息子にそうだと答え、「お父さんのお友達ですから戦争するんでなくて、仲よくするんです」と答える清沢。すると、「だって支那人でしょう。あすこの道からタンクを持ってきて、このお家を打ってしまいますよ」と返した息子に、「どうしてそう思うようになったのか」と思わず頭を抱えたようだ(清沢洌『非常日本への苦言』33年)。
清沢は、息子が自宅にある少年雑誌の表紙を見て、支那、つまり当時の中国を敵視する時代の空気を感受していたのだと思い当たる。31年に満洲事変、翌32年に満洲国建国、33年に国際連盟脱退と、満洲をめぐって日本が国際社会からの孤立を深めた時期だ。37年には日中戦争へと至った。時代の空気は7歳の子どもでも感じるほど、きな臭さが強いものだったのだろう。
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