
家永真幸(いえなが・まさき)/東京女子大学 現代教養学部 准教授。1981年生まれ。2012年東京大学大学院満期退学、15年修了。博士(学術)。東京医科歯科大学准教授を経て、18年から東京女子大学准教授。主著に『国宝の政治史』や『台湾研究入門』(共編著)。『中国パンダ外交史』は2011年の『パンダ外交』を大幅に加筆修正した新装版。(撮影:尾形文繁)
日中国交正常化に伴い、カンカンとランランの2頭のパンダが来日して今年で50年。かわいいパンダは今や中国の宝物、シンボルとして外交の舞台で「活躍」している。なぜパンダは中国を代表する政治的な動物になったのか。パンダを手がかりに中国外交の歴史と本質に迫るのが本書だ。
──中国は昔からパンダを宝物として大事にしていたのですか。
いえ、中国が初めてパンダを外交的に利用したのは1941年。それまではパンダの価値にほとんど気づかず、大事にしていませんでした。最初にパンダの価値を見いだしたのはむしろ欧米です。30年代終盤まで、パンダの狩猟や捕獲はほぼ自由に行えました。当時、動物学の研究やビジネス上の理由で注目が集まり、欧米の動物園では生きたパンダが飼育・展示され、大人気の動物になりました。
39年11月以降は中国政府の許可なしでは国外に運び出せない動物となり、国際政治に利用され始めます。外交上初めて米国にパンダが贈られた41年は、日中戦争で苦戦する中国が米国の支援を必要とした時期です。当時の指導者である蔣介石の妻、宋美齢は米国留学経験もあり、対外宣伝を担う部署にいました。米国世論に中国支持を訴える中で、人気があったパンダをうまく活用したのです。
パンダは、中国がこの100年で国際社会に入っていくために、欧米の価値観を受容して、宝物になった事例といえます。もともと宝物だったから外交に利用したのではなく、外交に使えて国益になるから宝物になったのです。
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