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背筋が凍った「北海道拓殖銀行破綻」を語り継ぐ 日銀マン、記者、学者それぞれの「1997年11月」

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バブル崩壊後の経営破綻と金融危機。未曾有の経験を後世へと語り継ぎたい。

1997年11月北海道拓殖銀行の自主再建断念記者会見の様子
1997年11月17日、記者会見で自主再建断念を発表した河谷禎昌・北海道拓殖銀行頭取(中央)(写真:時事)

往事茫々(ぼうぼう)。25年もの時が流れると、細部は忘却のかなただ。しかし、背筋が寒くなる恐怖と猛烈な不安は忘れられない。そして、その感覚はあの日々を当事者として経験した人々すべてに共有されている。1997年11月は日本経済が崩壊寸前まで追い詰められた日々だったからだ。

日本銀行OBの熊倉修一さんは、当時札幌支店次長だった。北海道拓殖銀行の破綻が迫っている中、日銀マンとして現金の確保は最重要課題。しかし北海道は広い。万一のときには稚内、釧路、函館など道内各都市の拓銀支店に潤沢な資金を準備しておく必要がある。日銀は本店からの現金輸送を強化し、札幌支店の金庫に入りきらないくらいの1万円札が津軽海峡を越えた。

11月14日の金曜日、東京から「拓銀は週明けの資金繰りがつかない」との連絡が入る。「万事休す」のサインだ。貯め込まれた現金は、週末を利用して拓銀の道内各支店に配送されていった。警察への極秘の警備依頼も含めてギリギリの折衝が続き、関係者は極度の緊張状態に置かれたが、準備のかいあって破綻が発表された17日月曜日に大きな混乱は起きなかった。振り返って熊倉さんはこう話す。

「むしろ北海道は拓銀が破綻してからのほうが大変だった。地域のメインバンクだった銀行の融資を肩代わりしようという金融機関が現れず、地域経済には大打撃だった。北海道のような所で、銀行は潰れてはいかんのです」

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