青木さやかさん「有名になったのに孤独になった」 誰もが自分を知っているという恐怖に近い感覚

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実際、何度か週刊誌の人に待ち伏せされたり、追ってこられたりしたことがあり、外に出たり歩くときは、後ろを振り返る癖がついた。これが有名になるということ、これがなくなったらそれはそれで寂しいよ、と言う人がいた。いまはそれはなくなったが、まったく寂しくない!

後に、ジャスティン・ビーバーが歌っている「ロンリー」という歌を聴いて、気持ちがわかりすぎて泣けた。ジャスティン・ビーバーとは格が違いすぎるだろうというのは言いっこなしだ。泣けた。

いまさら、仕事が辛かったとか、あれが嫌だった、とか言いたくはないし、そうだったわけではない。

なにをしていても、辛いときがある

そりゃ慣れないⅯⅭの仕事や、休みなく次から次へと入ってくる仕事に爪痕を残し続けること、明らかに残せなかった日の帰り道、それでも行かなくてはならない翌日の仕事、弱音をはくことができないこと、その1つひとつは、きつかった。だけど、それが仕事ってもんだろう。努力し、汗をかいて、全力でやることが仕事ってもんだろう。

だから、わたしは、仕事が嫌だったわけではないと思う。
わたしは、なにをしていたって、きっと辛かった。

きっとあのとき、
バイトしてたって、
大富豪と結婚してたって、
もっと仕事で評価されてたって、
宝くじに当たってたって、
大好きな人から大好きだって言われ続けたって、
きっと辛かった。

それが、あの時のわたしだったのだ。

何をしている時が楽しいか?もしかしたら楽しい人は何をしていたって楽しいんだと思う。わたしは、何をしていたって楽しいことなんてひとつもなかった。

「ゴリさん、楽しいことがないよ、わたしは」
わたしの親友ゴリけん。
「あるだろう」
「ないよ、ないないなーい」
「俺は仕事がないよ」
「ゴリさんは仕事がなーい」
「おい!」
「ははははは」

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