内閣府「子どもの貧困」調査で教育格差明らかに、「緩やかな身分社会」の実態 龍谷大・松岡亮二、データで継続把握する意義
これまで「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」を含め行政による教育調査では、学術的な裏付けがまったくない(あるいはほとんどない)調査項目が散見されてきた。さらには、何を計測しているのか不明なそれらの調査項目を地方の教育行政がそのまま利用しているケースまである。
このような思いつきで作られた意味のない調査項目の拡散を止めるためには、専門家が精査した調査項目が明示される必要があった。今回の内閣府調査の項目をそのまま用いる自治体が増えれば、文科省の調査に含まれる根拠なき項目を地方自治体が調べるという悲劇(あるいは笑えない喜劇)が減るはずだ。
一時点における実態把握の次に求められるのは、個人と学校を追跡するパネル調査である。1回だけの調査と比べると実施難易度は上がるが、すでに教育委員会と研究者が連携することで地方自治体においてパネルデータを構築し、さまざまな側面で実態を可視化した実例がある。
例えば、大都市部に位置する「いろは市(仮称)」のパネル調査はほかの自治体にとって参考になるはずだ(詳細は川口俊明編著『教育格差の診断書 データからわかる実態と処方箋』〈岩波書店〉参照)。データ収集と整理のコストはデジタル化で下がっているので、数年以内には、都道府県と政令指定都市が地元の大学の研究者の協力を得ながらパネルデータを構築・維持して継続的な実態把握を行い、効果のある教育実践・教育政策を次々に明らかにしていく体制を確立すべきである。
多くの子どもたちの可能性を引き出すためにできること
『教育格差』(ちくま新書)でデータを示したように、戦後の日本はいつの時代であっても教育格差社会であったし、他国と比較すると日本は「凡庸な教育格差社会」である。同様に、「子どもの貧困」は経済が好調だった1980年代にもあったし、コロナ禍の現在も1学年だけで約14万人が相対的な貧困下にある。教育格差も、その一部である貧困も、今を生きるすべての世代が解決できてこなかった課題である。
「そんなもんだ」と諦めたり自己責任を強調したりしたところで「緩やかな身分社会」という実態が変わることはない。現実をただ是認するのではなく、データで継続的に実態を把握し、本人にはどうしようもない「生まれ」によって学習意欲を持つことができない子どもたちを支援する社会に転換するべきではないだろうか。私たち一人ひとりは無力かもしれないが、多くの声が集まれば実現は不可能ではないはずだ。教育社会学者として私が何をしてきたのか、そして、皆さん一人ひとりに何をお願いしたいのか、新書史上最長を記録した(?)1.1万文字の『教育論の新常識』(中公新書ラクレ)の「あとがき」をお読みいただきたい。
(注記のない写真:GettyImages)
執筆:龍谷大学社会学部社会学科 准教授 松岡亮二
東洋経済education × ICT編集部
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