明治維新の日本から留学生が欧米に散っていった頃、英国からは女教師(じょきょうし)たちが、英国式女子中等教育の普及のため、インド、カナダ、豪州など日の沈まぬ大英帝国領土に渡っていった。本国では男性社会と闘う女教師も、海外では上から目線。普及は成功とは言いがたかった。そして、1960年代、彼女たちの“世界一周”は思わぬ形で完結する。
時間を超える男の女性分断 闘いの歴史を語り継げ
──ご自身も中学校教師を経験されていますね。
修士課程で受けた奨学金をなしにするには、義務教育課程の教師になるのがいちばん現実的でした。
女子大の学部生のときに極度の人間不信に陥り、なるべく人の少なそうな田川建三さんの西洋思想史のゼミに入ったら「今年はフェミニズムがテーマです」。たまたまですが女性論を専攻し、多少は身に付けたフェミニスト的視点で現場を見ると女子差別だらけ。男子優先の男女別名簿、学級委員長は男子、副委員長は女子といった慣習だけではありません。授業効率から女子に応用問題を答えさせない数学教師、グループ学習で全班の司会を男子にする教師もいた。
男女同数を1つの教室に入れたからといって平等が実現するわけではないことに気づきました。むしろ共学化で女子は損をしているのではないか。自分の経験を言語化したくて英国に留学、現代を理解するには過去を知らねばならず、100年以上さかのぼりました。
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