水都復活には既得権益や規制の網を解きほぐす作業が必要になる。何が必要か。都庁OBで首都東京の水辺開発に詳しい高松巌氏に聞いた。
 
江戸時代の水上交通は自由だった
――江戸・東京では、かつては水運が交通の主役でした。なぜ、廃れていったのですか。
徳川家康は水浸しになっている江戸の湿地帯を見て、京都や大阪にない新しい都市ができることを直感的に理解し、水路の整備から江戸の都市開発を始めた。
都市が大きくなっていくと、大量の物資が必要になる。当時の道路事情が悪かったこともあり、水運はますます重要になる。水辺を生かしたまちづくりがどんどん広がっていった。
江戸の水上交通はものすごく自由だった。商人たちは日本橋のような物資の集積場をつくり、そこから水路を使って物資を各地に運んだ。経済と流通の中心が舟運だったので、運航は自由でなければならなかった。

 
       



 
         
         
         
        
       
         
         
         
         
         
         
         
        













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