国としての統合を阻む植民地時代の「負の遺産」
評者/関西大学客員教授 会田弘継
著者の信条で、軍政下で変更された国名ミャンマーではなく「ビルマ」が用いられる。「ビルマの隠された歴史」が原題だ。英植民地時代からのこの国の近現代史を知らずに今日の「危機の本質」は理解できない。読者はそれを痛切に知ることになる。
著者は米国に生まれ育った元国連職員。2011年以降、民政移管で始まった祖国の改革政策に深く関わるようになった。国連事務総長(1961〜71年)を務めたウ・タントの孫で、歴史家でもある。
軍部の影響力を残す民政移管に続き、15年の総選挙を経てアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD)政権が16年に発足。やっと民主化が軌道に乗ったと思ったら、今年2月のクーデターで、軍政が復活した。
この間に起きたイスラム教徒少数民族ロヒンギャ問題への対応で、スーチーはすっかり評判を落とした。著者はこの問題に限らず、スーチーとNLD政権に批判的だ。
ただ、「問題の核心は、未だに領土をコントロールできないでいる国家と、帰属する者しない者によって分断されている市民社会にある。その両方とも植民地時代の負の遺産だ」。本書がたどる歴史は、その「負の遺産」の背景をつぶさに教える。
19世紀に3度の戦争を経て英国に征服されたミャンマーは、セイロン(現スリランカ)やシンガポールのような直轄植民地ではなく、インドの一部として扱われた。「軍隊による占領国家として生まれ、民族に基づく階層社会として育った」と著者は言う。
英国人を頂点とする白人の序列の下にインド人、中国人、15民族集団に分類されたミャンマー人が階層化された。英国統治下、インドからの移民はイスラム教徒も含め数百万に及び、ロヒンギャ問題の起源ともなっている。
第2次世界大戦でミャンマーに侵攻した日本も、今日の混迷に関わる。ロヒンギャ問題が起きている西部沿岸地帯で日本は仏教徒を、英国はイスラム教徒を武装化、両者は虐殺し合った。今日の紛争のタネをまいたといえそうだ。
ただ、ミャンマーの混迷を民族問題だけに帰すると大きな「隠された物語」を見逃すと著者は言う。武装少数民族との戦いに明け暮れる戦後の軍政下、社会主義から資本主義への移行が何の議論もなく進み、腐敗や金儲け至上主義が生じた。金持ちたちは民族分断を超え結託する。これも植民地時代の遺産だろう。
クーデター前のミャンマー投資ブームも、本書を読むと考え直してみたくなる。
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