大深度地下法が成立する発端になったのは、1995年の調査会設置法案だった。議員立法である同法案に関わった野沢太三・元参院議員に聞いた。
トンネル用地の全部買収は不合理だ
――大深度法の基礎になった調査会を1995年に発案されたのは、どのような思いからだったのでしょうか?
僕は大学を出て国鉄に入り、トンネルの仕事からキャリアをスタートした。札幌鉄道管理局札幌工事事務所に配属され、辺富内線日振トンネルの完成のメドをつけてくれということで、最初に山トンネル(山岳を貫くトンネル)を勉強した。
その後、信濃川工事局土合・土樽工事区長として上越線の新清水トンネル建設を一から担当した。標高1900メートル近くある谷川岳の下、(標高)500~600メートル付近にトンネルを通す。土かぶり(地中の構造物の上部面から地表面までの高さ)は1200メートルくらい。それくらいの大深度だった。
そこで気づいたのは、明治時代から鉄道マンの先輩たちはトンネル用地を全部買うのは不合理だと考えていたこと。大きな山を上まで買っても意味がない。買うほうも大変だし、買われるほうも自分の土地のなかに(鉄道当局の)トンネルの細長い土地が入りこむことになって具合が悪い。
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