作業員への取材を通じて、原発事故の核心部分に迫る
──東電の公式発表では明らかにされない、作業員の使い捨て、被曝隠しなど事故現場の実態がよくわかります。また、過酷な現場で働く作業員の労苦や責任感、家族への思いなどが詰まっています。
読者の皆さんは原発の話としてだけでなく、いろいろな読み方をしてくださっているようです。16年ごろに作業員の間でも『ポケモンGO』が流行したとき、手に入れたポケモンを久しぶりの帰宅で息子に見せたところ、「パパ嫌い」となつかなかった息子が、帰るたびに飛んでくるようになったと聞き、原稿を書きました。そうした話が心に残ったという方がいました。先の見えない避難生活や仕事への不安で、子どもに当たってしまった作業員の告白を読み、身につまされたとの感想もありました。
──現在まで一貫して現場取材を続ける記者はほとんどいません。取材ではどんな困難が?
作業員への取材を始めたのは、事故発生から4カ月以上が過ぎた11年8月。中日新聞社の東京社会部で福島の作業員をフォローする担当となり、当時、多くの作業員の宿泊先があった福島県いわき市に向かいました。警察担当が長く、おまえは初対面の人に声をかけるのが得意だろうということで、担当に。ただ、その頃にはすでに東電やゼネコンが厳しい箝口令を敷いていたので、取材は困難を極めました。
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