
おがわ・かずひさ 1945年生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストに。外交、安全保障、危機管理の分野で政策立案に関わり、小渕政権ではドクターヘリ実現で中心的役割を果たした。(撮影:尾形文繁)
返還合意から24年経っても運用が続く米軍普天間基地。沖縄側の「反辺野古、反新基地」に合致し、米海兵隊も問題ないとした県内キャンプ・ハンセンへの移設案はなぜ採用されないのか。
──移設が国内問題とは驚きです。
普天間は物理的に危険なうえ、事故が起きれば日米関係も危機に瀕するため、移設は喫緊の課題です。1996年の返還合意は、強い統率力があれば外交で勝てることを橋本龍太郎首相が証明した。そこから先、普天間をどこに移すかは純然たる内政です。
米国としては現在の軍事的プレゼンスが下がらなければいい。米国が受容でき、沖縄県民の半分以上が賛成できる提案をどう作るかはひとえに日本側の問題です。
──そこで短時日で練り上げたのがキャンプ・ハンセン移設案。
骨子は、「キャンプ・シュワブ内に短期間で仮移駐先を造成、回転翼機を収容し、その時点で普天間を閉鎖、危険を除去、同時に本格的な移駐先としてキャンプ・ハンセン内に2800メートルの滑走路を造る」。海兵隊の隊舎地区の地下には、米軍が終戦直前に造ったチム飛行場跡があります。これに、民間航空機の高段階整備拠点の誘致など沖縄本島北部の振興案をセットにしました。塩川正十郎・自民党総務会長に説明すると「これで解決できるなあ」。塩川さんはその場で梶山静六・官房長官に連絡し、私を連れて行きました。
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