五輪問題でも露呈した政策決定者のリアリズム欠落。実証的政策論議が急務だ。
最近、日本はもはや先進国ではなくなったと思わせるような出来事がしばしば見られる。中でも、IOC(国際オリンピック委員会)が東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌で開催したいと言い出したことには、衝撃を受けた。現実を無視した計画を立て、あらゆるまっとうな疑問を無視し、当初の計画に固執した揚げ句に失敗するという日本におなじみの意思決定のパターンを繰り返しているからである。東京都はこれに対抗して、午前3時にマラソンをスタートすると提案したが、このような荒唐無稽な案を出すこと自体が、日本の政策決定システムの劣化を物語っている。
日本の政治家が語るリアリズム(現実主義)の欠落については、政治学者の丸山眞男が60年以上前に「『現実』主義の陥穽」という論文で解説している。日本的な「現実」とは、権力者にとっての現実であり、多面的な現実の一面でしかなく、現実主義的に振る舞うことは既成事実への屈服でしかない。丸山は満州事変以後の戦争に向けた政策決定過程からこのようなパターンを抽出した。それが21世紀の現代にも当てはまることが悲しい。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら