いつの間にかゲーム屋、それもなんか面白い--南場智子 ディー・エヌ・エー社長[上]
高校までを過ごした新潟。180センチメートル超の堂々たる体躯を持つ父は、ガソリン卸会社の経営者だった。「女に教育はいらない」が持論である。南場の役割は靴磨きに腰もみ、正座してのお酌。家のことはすべて父が決める。「自転車買ってください」「だめだ」。以上、問答無用。
とりわけ午後6時の門限は厳しかった。「模試で遅れます」「模試なんか必要ない」。水泳部の練習で帰り時間がわからないと言えば、「そんな部はやめてしまえ」。退部した。
ある夜、父は寝たものと思い、たまりにたまった憤懣(ふんまん)を母にぶつけたら、奥から出てきてぶん殴られた。
「窮屈なんてもんじゃない。とにかく恐怖」。と言いつつ、高校生の南場も懲りない。門限を過ぎると、父は7時にまず校長、8時に県警に電話する。うその上塗りがばれて、万事休す、の修羅場もあった。
とにかく自由になりたい、思いどおりに生きたい。人一倍強く思った。大学は、女子大で寮があるのを盾に父を説得し、東京の津田塾大学へ進んだ。やっと自由を手にしたはずなのに、裏で父が大学と連絡を取っているのではないか、見張られているのではないか、と強迫観念は消えなかった。サークルに入るでもなく、「誰かと友達になりたいって気持ちも、あんまなかった」。
その代わりバイトに精を出す。家庭教師に通訳、翻訳など短時間で割のいいバイト。アメリカに行きたい。学年で一人選抜される米ブリンマー大との交換留学制度で、落ちたら自費で、と考えた。結果は合格。