政治学者、京極純一先生の訃報に接し、私が講義を聴いた頃の先生の年を追い越していることに愕然とする。学者も小粒になっているので政治家の劣化などと気安く批判はできないとわかっているつもりである。それにしても、最近の政府与党の政治家の退廃は目に余る。そして、戦後の日本にこんな嫌な時代はなかったのではないかと思う。
嫌だと感じる理由は、権力者が世の中を自分の気に入るように塗りたくろうとしている点にある。放送業界を監督する任にある高市早苗総務相は、テレビ番組が不公平な報道をしたら電波の停止を命じることもあると発言し、安倍晋三首相もそれを追認した。安倍首相はテレビニュースの街頭インタビューでも政権批判の声が多いと文句をつけたくらい自分に対する批判を忌避している。それにしても監督権限を持つ大臣が法律に基づいて電波停止の可能性に言及することはかつてない威嚇である。
そもそも不公平とは何かを誰がいかにして判定するのか。与党の議員である総務相が判定するなら、自党を批判する報道を不公平と断定することもありうる。悪政によって苦しむ人が存在すれば、それを紹介することこそ公平な報道である。権力者が百点満点の政治をしていないかぎり、公平は無色透明ではなく為政者に対する攻撃を含むのが宿命である。高市氏は報道の自由を無視しているというしかない。
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