金メダリスト水谷隼「卓球で僕が学んだこと」 人と違う道を選び続けて「オンリーワン」になる

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東京2020オリンピック競技大会(以下、東京2020大会)で初採用された卓球・混合ダブルスで日本卓球史上初となる金メダルを、男子団体では銅メダルを獲得した水谷隼さん。27年間の競技者人生の中で、ずっと貫いてきた「世界一を取る」というぶれない心の強さは、どのように培われたのか。夢を追い、それをかなえるために必要なことは何なのか。マネジメント能力とレジリエンスをテーマに話を聞いた。

好きでもない卓球を選んだのは、親に認められたかったから

――東京2020大会は水谷さんの27年間の競技者人生の集大成となりました。長い間、好不調の波がありながらも、ずっと卓球を続けることができた最大の要因はなんでしょうか。

オリンピックに出たい、世界一を取りたいという願望と野心を持ち続けていたからでしょう。小学生の頃は卓球のほかにソフトボールとサッカーをやっていて、なぜかどれでもトップレベルになれるという自信がありました。その中でも卓球を選んだのは、親に認めてもらったり褒めてもらったりするのに、いちばんの近道だと思ったからです。実は、初めから卓球が好きだったわけじゃないんです。

最近は読書にもはまっているそう。卓球以外にも、ビジネスなどさまざまな知識を身に付けたい、と語ってくれた

――承認欲求が金メダルへの道だった!?

そうです。自分が子どもの頃は、今みたいに褒めて育てるみたいな風潮がなかったせいもありますが、うちの親は本当に厳しくて、全然褒めてくれない。だから、頑張って戦績を上げることで、自分を認めてほしかったんです。

中学校に上がった頃には、国内では圧倒的に強くなっていて、同世代の中ではライバルがいなくなったような感覚がありました。加えて、このままほかの中高生と同じような練習をしていても、強くなれないという気持ちもあったように記憶しています。大人になったらサラリーマンになろうとも思っていなくて。そんなときに、ちょうどドイツ留学の話が持ち上がり「よし行こう、自分は卓球で生きていく」と決意しました。

ところが、留学先では最年少で実力も最弱。まともに練習させてくれないし、試合にも出られない。すごくつらかったです。でも、そこでアスリート界の弱肉強食を味わって、ハングリー精神みたいなものが芽生えました。そういう意味では自分の成長に欠かせない、とてもよい経験だったと思います。

中2で単身ドイツに渡り、ドイツ・ミュンスターチームに所属した
(写真:水谷隼氏提供)

人生に必要な力は、経験の中でおのずと身に付く

――優れたアスリートはマネジメント能力やレジリエンス(失敗から立ち上がる力)に長けているといわれます。水谷さんはどうやってそのような力を身に付けられましたか。

どちらも経験の中で自然に培われたと思います。マネジメント能力については、オリンピックでメダルを取りたいという思いを胸に秘めていたので、そのために必要な行動をおのずと取るようになっていましたね。練習、ケア、食事、睡眠、休養など、どうすればパフォーマンスが上がるのか、四六時中そればかり考えていました。

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