好きでもない卓球を選んだのは、親に認められたかったから
――東京2020大会は水谷さんの27年間の競技者人生の集大成となりました。長い間、好不調の波がありながらも、ずっと卓球を続けることができた最大の要因はなんでしょうか。
オリンピックに出たい、世界一を取りたいという願望と野心を持ち続けていたからでしょう。小学生の頃は卓球のほかにソフトボールとサッカーをやっていて、なぜかどれでもトップレベルになれるという自信がありました。その中でも卓球を選んだのは、親に認めてもらったり褒めてもらったりするのに、いちばんの近道だと思ったからです。実は、初めから卓球が好きだったわけじゃないんです。
――承認欲求が金メダルへの道だった!?
そうです。自分が子どもの頃は、今みたいに褒めて育てるみたいな風潮がなかったせいもありますが、うちの親は本当に厳しくて、全然褒めてくれない。だから、頑張って戦績を上げることで、自分を認めてほしかったんです。
中学校に上がった頃には、国内では圧倒的に強くなっていて、同世代の中ではライバルがいなくなったような感覚がありました。加えて、このままほかの中高生と同じような練習をしていても、強くなれないという気持ちもあったように記憶しています。大人になったらサラリーマンになろうとも思っていなくて。そんなときに、ちょうどドイツ留学の話が持ち上がり「よし行こう、自分は卓球で生きていく」と決意しました。
ところが、留学先では最年少で実力も最弱。まともに練習させてくれないし、試合にも出られない。すごくつらかったです。でも、そこでアスリート界の弱肉強食を味わって、ハングリー精神みたいなものが芽生えました。そういう意味では自分の成長に欠かせない、とてもよい経験だったと思います。
人生に必要な力は、経験の中でおのずと身に付く
――優れたアスリートはマネジメント能力やレジリエンス(失敗から立ち上がる力)に長けているといわれます。水谷さんはどうやってそのような力を身に付けられましたか。
どちらも経験の中で自然に培われたと思います。マネジメント能力については、オリンピックでメダルを取りたいという思いを胸に秘めていたので、そのために必要な行動をおのずと取るようになっていましたね。練習、ケア、食事、睡眠、休養など、どうすればパフォーマンスが上がるのか、四六時中そればかり考えていました。
もちろん、失敗もあります。誰にも負けたくないから、人の2倍、3倍練習しようと、自分の限界を顧みず無理したことがあります。先輩から卓球選手は腰痛に気をつけたほうがいいよ、とアドバイスをいただきながらも、僕は若いから大丈夫と過信してケアを怠り、腰痛に悩まされることになったりもしました。
失敗と反省を含めて、いろいろな経験をたくさんすることで、最終的に自分の最高のパフォーマンスができるように、最高のコンディションを整えられる能力が養われたのだと思います。おかげで東京2020大会は、過去の大会の中でもベストな状態で臨むことができました。
レジリエンス、例えばどんなに厳しい状況でもそれを受け入れて適応していく力、落ち込んでも立ち上がる力は、困難を自分で乗り切ってこそ身に付くものではないかと思います。僕の場合、ドイツ留学もつらかったけど、2012年に開催されたロンドン五輪の後、13年が人生で最も苦しい時期でした。
ロンドン五輪では期待されていたのにメダルを取れず、その後の世界卓球選手権でも全日本選手権でも優勝できず、1年を通して戦績が振るいませんでした。ラケットのブースター(スピード補助剤)問題の解決を訴えるために、半年間国際大会の参加を自粛して、練習をしない時期もありました。どんなに周りに助けを求めても、誰も助けてくれない。そんな本当に孤独で苦しい時間を過ごしていました。
――立ち直ったきっかけは何だったのですか。
スポンサーについてくれていたある企業の社長の一言でした。「誰も力を貸してくれない今だからこそ、これから君が残す成績はすべて君の手柄になる。それをモチベーションにして頑張れ」って。そうか、それなら全部自分の力でやっていこうと奮起しました。それで、13年にロシア・プレミアリーグのUMMCへ移籍し、もっと強くなるために日本卓球男子としては初めて自費でコーチを雇って、欧州各国の強豪と戦う選択をしたのです。
そのときは、日本卓球協会のほうでも選手育成のために、ナショナルトレーニングセンターで強化合宿をどんどんやっていこうという動きもあったのですが、やはり、みんなと同じことをやっていたのでは強くなれないと思って、海外へ飛び出しました。
――つねに人の選ばない道を進んできたわけですね。
アスリートの世界では、世界一、絶対的なチャンピオンは1人しか存在しません。高い壁を目指すには、人と違うことをしなければならない。つねに向上心を持って、自分を変えていかなければいけない。僕は、人と違う道を選び続けることでオンリーワンになれるのだと信じ、それを実行してきました。だからこそ、今の自分があると思っています。
夢がなくても大丈夫、失敗を恐れずどんどん挑戦させて
――水谷さんは大きな夢を持ち続けることができましたが、最近では夢が持てない、見つけられないという子どももたくさんいます。
夢がなくてもいいと思います。夢はなくても大抵、欲はありますよね。例えばお金持ちになりたいとか、好きな人と付き合いたいとか。そうすると、じゃあお金持ちになったり、好きな人に振り向いてもらえるようになったりするには、どうしたらいいかって考えるようになると思うので、それを実行すればいいんです。7歳になる僕の娘は、将来ユーチューバーになりたいと言っています。「何、言っているの」と諭す親もいるかもしれませんが、僕は何でもやってみたらいいと思っています。
ユーチューバーになるのだって、生易しくはありません。やり始めたとしても、たぶん壁にぶつかるだろうから、そこで現実の厳しさを学ぶのもいいし、新たに違う道を見つけてもいい。最初からやめたほうがいいよと言ってやらせないよりも、経験を積ませたほうが子どものためになります。失敗が成長につながるから、どんどんチャレンジさせることが大事なんです。
振り返ってみれば、どんなときでも家族だけは僕の味方でした。東京2020大会でメダルを取って、親は手放しで喜び、よくやったと褒めてくれた。また、金メダルを取った後、大勢の方から「おめでとう」というメッセージをもらう中、なぜか妻からは何の音沙汰もなかったんです。僕にメッセージがたくさん来ていると思って遠慮してくれていたのかもしれません。僕のほうから唯一連絡をしたのが、妻でした。妻は、実は試合に勝った瞬間に大泣きしていたそうです。後日、その様子を撮影していた友人の動画で知りました。本当に家族に対して、感謝の気持ちでいっぱいです。学校の先生や保護者の方には、ぜひ子どもが秘めている力を信じて、サポートして、挑戦させてあげてほしいと思います。
(文:田中弘美、注記のない写真:今井康一)