日本で広まったのはこの10年

「哲学対話の授業」と聞くと、何か難しい実践をイメージするかもしれないが、哲学史や哲学者の思想を教え込んだり話し合ったりする教育ではない。「生きるとは何か、自由とは何かといった素朴な問題や身近な問いについて、みんなで意見を出し合って考えを深めていく実践です」と、開智国際大学教育学部准教授の土屋陽介氏は説明する。

近年日本でも道徳の時間を中心に導入する学校が増えたが、その発祥は1960年代末にさかのぼる。米国の哲学者、マシュー・リップマンが独自の哲学教材を作り、公立小学校で対話型授業を行ったことが始まりといわれる。

その実践は一躍注目を浴び、70年代末までに米国内の約5000もの教室で行われるようになったという。リップマンが自身の教育活動を「Philosophy for Children」、通称「P4C」と名付けたことからこの呼び名で普及し、世界の50以上の国や地域にも広がった。その経緯について、土屋氏は次のように語る。

「リップマンは思考力の育成を目的としましたが、世界では各国や各地域の課題解決を前提に、対話して探究するところに力点が置かれる形で普及しました。例えばヨーロッパでは移民の問題が背景にあり、多文化理解に対話が有効だとして広がった。メキシコやブラジルなどの貧困地域では、子どもたちが自身の置かれた過酷な環境を問う力を身に付けてほしいという思いで取り組む人たちがいます」

アジアでも、韓国や台湾では70年代半ば以降からP4Cの取り組みが見られ、シンガポールも一部の名門校が取り入れてきた。日本は世界の潮流から遅れて2000年代ごろから徐々にP4Cの紹介や研究者主体の学校授業が行われ、10年代に学校主体による哲学対話の導入が急速に増えたという。

土屋氏も、その実践の先駆けとなった。08年ごろからP4Cの研究や海外視察に取り組み、12年度から開智学園系列の複数の中学校で、道徳の授業の約15時間を使って哲学対話の授業を通年で担当するようになったのだ。

2015年度の開校以来、哲学対話の授業を行う開智日本橋学園中学校(東京都中央区)。円になり対話するスタイルが主流

その後、私立校だけでなく国立お茶の水女子大学附属小学校も哲学対話をベースにした授業「てつがく」を開始。さらに「p4cみやぎ」という団体を通じて宮城県仙台市と白石市の公立小中学校に導入が広がったことで、「『自分もやってみよう』と思った先生も多いのでは」と土屋氏は言う。

基本的に日本のP4Cは、研究者同士のつながりもあってハワイの影響が強い。ハワイは多文化社会で言葉の問題や格差問題から衝突や校内暴力が生じることもあり、安心安全に対話できることを重視する方向で哲学対話が独自に進化したそうだ。

「この『対話の安全性』が日本の学校課題の解決と相性がよかったことや、新学習指導要領で重視されるアクティブラーニングの手法としても期待できることから、日本でも哲学対話が広がったのでしょう」と、土屋氏は話す。

こうした背景から、公立校では、哲学対話を道徳教育やコミュニティーづくりに生かす学校も多い。また、探究のベースとして位置づける学校もあれば、受験勉強とは異なる「正解が1つではない問題」を考えさせたいという思いで取り組む進学校もある。

土屋氏は、以下の5つを哲学対話の授業の前に必ず確認している。

1:手を挙げて話すことよりも、よく考えることを大事にしよう
2:真剣に考えたことであれば、ほかの人を傷つける発言でない限り、どんなことでも自由に話してよい
3:わからないときは恥ずかしがらずに「わからない」と言おう
4:沈黙は気にしない
5:相手の話をよく聞こう

そして、「人はなぜ生きるか」「友達って本当に必要?」「大人と子どもの境目は」「名前はなぜ必要か」といったテーマをみんなで話し合って決め、上記の5つを前提に対話を進めていくという。

毛糸の「コミュニティーボール」を持った人が意見を言うハワイ流のルールで進める学校も多いが、その決まりも絶対ではない。「意見をGoogleフォームに入力してもらってそれをみんなで見ながら進めるなどICTを活用してもいい」(土屋氏)

哲学対話の実践で見えてきた「教育効果」とは?

教育現場によって目的は異なるにせよ、これまでどのような成果が見られたのか。

例えば、リップマンの教材による実践は思考力の育成に成果があるというデータが多くあるという。2003年に宮崎県の公立小学校で行われた日本初のP4Cの授業でもリップマンの教材が使われ、論理的推論スキルの育成効果が認められた。今も哲学対話が盛んなオーストラリアでは1990年代後半に、ある州の公立小学校にて数学・理科・国語の学力が向上し、注目を浴びた。

土屋氏が心理学者と行った共同研究でも「自分とは異なる意見や考え方を受け止める姿勢」の向上が確認されているが、土屋氏は「どのデータも普遍的な効果とは言い切れない」と指摘する。哲学対話は実践者によって方法論が異なり、子どもの成長は学校全体でつくっていくものなので、その成果を見極めるのは難しいからだ。

しかし、この10年間の自身の実践を振り返り、「他者の意見を受け止め、物事をきちんと考える構えや態度が生徒たちに身に付いていると感じます」と、土屋氏は手応えを感じている。

学園の管理職やほかの教員からも、「話すことや聞くことに対する抵抗感がなくなった」「学び合いがスムーズにいくのは哲学対話のおかげ」「話し合いが必要になったときや教科でディスカッションしたいときにも議論を始めやすい」といった声が上がっている。

とくに土屋氏が実感しているのは「居場所づくり」への貢献だ。学校になじめないタイプの子が、面白い意見を言うことがよくあるという。

「学校になじめない子は、考えすぎて学業や日常生活でつまずいている場合が多い。でも、常識にとらわれていないから発言が面白い。私もそれを褒めるし、哲学対話の場はどんな意見も周囲から尊重されるので、生徒は『自分も学校にいていいのだ』という安心感を得ることができるのです」

また、土屋氏が授業を担当する学校では、哲学対話に夢中になる生徒が出てきて部活ができるという。開智日本橋学園中学校では、哲学対話が好きな生徒たちが集まって制服のあり方を議論し、学校に「女子もスラックスを選べるようにしてほしい」と起案書を提出。それが後押しとなり制服改革が実現したそうだ。

「哲学対話はこんなふうに学校を探究の共同体にし、何かを変える力を生み出すこともできます。実は哲学対話を始めるとその魅力に目覚める先生も必ず出てくるので、今後は先生たちも学校の中身を変えていくようになったら面白いなと期待しています」

土屋氏は、そのように今ある環境や現実そのものを疑い、問い直せる力を哲学対話で育みたいという。

「不安定な時代だから子どもたちはさまざまな力を身に付けなければいけないといわれていますが、そもそもなぜ不安定な時代になったのか、なぜ探究やプログラミングなど新たなことを学ぶ必要があるのかというところから自分で考え、批判的になれる力が今の子どもたちには必要です。

ガート・ビースタというオランダの教育哲学者は、今の子どもたちを自律的に掃除するロボット掃除機に例えてアクティブラーニングを批判しました。私も現代の学校教育がロボット掃除機のような、与えられた環境に適応して自走する子どもをつくるのでは駄目だと思っていて、そもそもそれが適応すべき環境なのかという根本から問える力を育てるべきだと考えます。そのツールとして、哲学対話やP4Cをもっと役立てていきたいです」

「鋭さ」と「場の安全性」の両立が課題

一方、課題もある。それは、開かれた対話や平等な対話をつくることの難しさだ。例えば男女差別の議論。先日も土屋氏が大学の授業で男女差別のテーマを扱った際、男女共に「大人が騒いでいるだけで差別などない」という意見が多かったという。

「学校の中では男女平等の理念が浸透しているため、実社会に触れた経験の少ない学生には『令和の時代に男女差別なんてもうない』という実感が強く抱かれるのかもしれません。それが経験量の偏りに基づいているのは明らかですが、哲学対話の理念は『多様な意見の尊重』なので、偏りに基づいた考えでも多数意見になると1つの考えとして容認しなくてはならないと思われがちです。

土屋陽介(つちや・ようすけ)
開智国際大学教育学部准教授。博士(教育学)。専門は哲学、哲学教育、教育哲学。2012年から学校法人・開智学園の複数の学校で、独自の教科「哲学対話」の専門教員として勤務。開智国際大学、立教大学、茨城大学、静岡大学等の非常勤講師を経て、20年4月より現職。主な著書に『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』(青春出版社)など。毎日小学生新聞「てつがくカフェ」連載担当。NHK・Eテレの番組「Q~こどものための哲学」監修
(写真:本人提供)

しかし、こうした偏りを放置したままで『開かれた議論』を続けることは、それ自体が男女差別やセクシャルハラスメントで傷ついたことのある学生に対する暴力になりかねませんし、社会の分断をあおったり反知性主義に手を貸したりすることにもなりかねません」

こうした誰かを傷つけかねない状況は大人の「哲学カフェ」などでも問題視されており、昨今、哲学対話やP4Cの研究者および実践者たちの間でこの倫理的問題が共有されるようになってきている。

「場の安全性を改めて問い直す必要があるでしょう。とくに授業となると強制参加なので、どこまで踏み込んだテーマ設定や対話をするのかは考えなければなりません。しかし、哲学対話は攻めたことが言える自由さも大きな魅力であり、その鋭さが社会を問い直す力にもなる。非常に難しいですが、そこの両立が課題です」

また、土屋氏は、哲学対話が教員や生徒の重荷にはなってほしくないと思っている。「アクティブラーニングをやらねばと焦って始めたり、行政主導で強制的なものになったりするのはよくない。興味がある人も、構えず気楽に始めてほしい」と話す。

「対話もうまくいくときとそうでないときがあります。悩んでしまったら、『哲学プラクティス連絡会』のイベントや『哲学カフェ』などに参加し、実践者や研究者に相談するのもよいでしょう。私もコロナ禍が落ち着いたら月に1度の無料相談『子どもの哲学研修会』を再開する予定です」

(文:編集チーム 佐藤ちひろ、注記のない写真は開智日本橋学園提供)