質素を尊んだ独自の生活哲学 「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む⑥

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アクショーノフさんはクリニックで働いていた奥田恵子さんと結婚、一人息子の淳さんがいる。淳さんもすでに結婚し、孫の悠仁君(11)がいる。アクショーノフさんは家族思いで、ロシアへの帰属意識も強い。だが、満州国が終戦で消滅すると同時に国籍も消え、そのまま無国籍で通した。戦後、ロシア人の友人たちからソ連へ帰国するよう勧められ、一時は帰国すべきかどうか悩んだ。だが、モスクワの友人に聞くと、マルクス・レーニン主義を勉強しないとソ連の医師国家資格は取れないと言われ、二度と帰ろうとは思わなかった。

「イデオロギーで押さえつけられる生活は私にはとても我慢できないと思った。その選択は間違っていなかった」と後日、しみじみ話してくれた。アクショーノフさんは根っからの自由人なんだなと納得したのを覚えている。

謝罪をしない警察に悔しさ

筆者は昨年7月、クリニックを訪れ、アクショーノフさんにインタビューした。これが私の最後の取材となった。ここで筆者は「人生を振り返って後悔していることがありますか」と尋ねた。すると、「私はスパイとして取り調べを受けたが、何日も調べられても(証拠となるようなものは)何もない。最後は解放されたが、(警察からは)何の謝罪もない」と悔しそうに語った。

これは神奈川県警に逮捕された無線機スパイ事件のことだろう。また、ソ連大使館員だったロストボロフの事件についても「その人物には会ったことがない。友人から私の疑惑について聞いたが、そういう事実はない」と強く否定した。事件から何十年も経っているが、日本のしかるべき部署から正式な謝罪や名誉回復の措置がとられていないことへの不満を強く感じた。

アクショーノフさんが埋葬されたのは、横浜市の海の見える公園の隣にある外人墓地である。ここには戦後、5年がかりで日本にたどり着いた両親が眠っている。今頃、両親と昔のロシアを思い出して懐かしんでいるに違いない。心からご冥福を祈りたい。

飯島 一孝 ジャーナリスト、上智大学講師

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いいじま かずたか / Kazutaka Iijima

1948年長野県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。71年に毎日新聞社入社。社会部、外信部などを経て91年からモスクワ特派員、95年モスクワ支局長。97年帰国し東京本社編集局編集委員、外信部編集委員、紙面審査委員会委員長などを歴任。2008年に定年退職。現在、上智大学・東京外国語大学・フェリス女学院大学の各講師。著書『新生ロシアの素顔』(毎日新聞社)、『六本木の赤ひげ』(集英社)、『ロシアのマスメディアと権力』(東洋書店)などがある。

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