「物を捨てられない」人の気持ちをラクにする方法 整理整頓で物も片付き、執着心も取り払われる
しかし、表情を見ると本人も物が捨てられないことはわかっており、人知れず悩んでいる気もします。きっと長年の習慣により、何が必要か不必要かの境がわからなくなり混乱しているのだと思うのです。
このような状況に心当たりのある方も多いのではないでしょうか。そのような方に気持ちを楽にして過ごしていただく考え方を紹介します。
長年続けてきた「物を捨てる」ことなく保管するという習慣は、そう簡単には変えたり手放したりすることはできないものでしょう。ある意味、身体全体に染みついているものでしょうから、自分から取り除くことができない一部と考え、逆にむしろ大切にしたほうがよいと思います。
捨てられないときこそ整理整頓を
では物が捨てられないことに対して、単純に開き直ればよいのかというと、そういうわけではありません。開き直ったうえで「あること」を心掛けてみることが大切です。
それは「整理整頓」です。
物を捨てることのできない人に多いのは、物は捨てないけれど、部屋・家・敷地内のどこかに放置しているということです。これでは物を捨てることができないということが、ただの悪習慣にしか理解されません。
しかし、「整理整頓」をすることで、「物が捨てられない」から「物を大事にする」という習慣に理解されるようになります。また、整頓できない物は不必要な物として手放すという断捨離にもつながります。
これはいたって単純なことなのですが、できていない人が多いのではないでしょうか。「整理整頓」が重要であるということを、私の父から学びました。
ネジ、ボトル、釘など、それぞれ箱にきちんと分けて保管したり、必要なときにすぐに取り出せるよう、倉庫にきれいに保管していたり、その光景には本当に脱帽です。このような姿を見ると、父は物が捨てられないのではなく、「物を大事にする」人なのだと理解せざるを得ません。こうして周囲に受け止めてもらうことは重要なことだと思います。
また、「整理整頓」はさらに作用するはたらきがあります。それはその過程で行う「掃除」を通して「執着心を払う」というものです。
仏教において、「掃除」は実践すべき大切な教えとして説かれています。「掃除」に関して、このようなエピソードが残っています。
お釈迦様の弟子の一人にシュリハンドク(周利槃特)という僧侶がいました。自分の名前さえ覚えられないほど物覚えが悪い弟子に、お釈迦様は一本のほうきを渡し、「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除かん」と唱えながら、ただ掃除に専念するように言いました。