「北池袋駅の近くには学校が多いんですよね。小学校から中学校、高校まで。ただ、高校生になると池袋駅から歩く子も多い印象です。池袋駅からひと駅ですから、池袋方面に向かってご利用になるお客さまよりは和光市方面に乗られる方が目立ちます」
こう教えてくれたのは、北池袋駅も管理する成田秀行下板橋駅長だ。成田駅長の言葉からもわかるとおり、実際に北池袋駅の利用者数はコロナ禍前で約1万人と今回の各駅停車の8駅でもいちばん少ない。
そんな小さな駅の駅舎の傍らに、何やらひっそりと石碑が建っている。そこには「北池袋驛開設記念碑」とあり、根津嘉一郎という東武鉄道の往年の社長の名も刻まれる。こんな、と言ったらアレですが、なぜこんな小さな駅に大仰な開設記念碑があるのだろうか。
「実は駅の歴史に関係していまして、もともとこの場所には東武堀之内という駅がありました。開業したのは昭和9年。でも、戦時中の空襲の被害を受けてしまい、戦後の昭和22年にいったん廃止されているんです。改めて北池袋駅の名前で昭和26年に駅ができました」(成田駅長)
そういう波瀾万丈の歴史があったから、開設記念碑が設けられたのだろう。空襲被害でいったん消えた駅が数年ののちに復活とは、地元の人にとってはたいそううれしい出来事だったに違いない。
3つの“〇板橋”駅がある
北池袋駅を出てすぐに東上線は左にカーブ、埼京線と分かれていよいよ我が道をゆく。豊島区からいざ板橋区へ入らんとする、その場所にあるのが下板橋駅だ。
東上線には下板橋・中板橋・上板橋という3つの“〇板橋”駅があり、ターミナルに近いほうから下・中・上。なんとなく違和感を覚えるが、そもそも板橋は中山道の宿場街で池袋なんかよりもよほど歴史が長い。なんでも池袋を基準にして考えてはいけないのだ。それは東上線そのものだって同じことだ。
「東上線は大正3年に開業しました。その当時は東武鉄道ではなく東上鉄道の路線で、最初の起点は下板橋駅だったんです。そのため、下板橋駅には東上線のゼロキロポストがあるんですよ」(成田駅長)
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