なぜザックジャパンは惨敗したのか ジーコジャパンの2006年ドイツ大会に酷似

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ただ、このチームはこれまでの流れも、大会前の準備も本番の流れも、あらゆる面が2006年ドイツワールドカップで惨敗したジーコジャパンに酷似していた。ジーコは中田英寿や中村俊輔(横浜)ら当時の欧州組を寵愛し、何があっても彼らを軸に据え続けた。当時の代表も「史上最強」との呼び声が高く、選手たちはスター扱いされ、どこか有頂天になっている印象が強かった。そして大会前のドイツとの親善試合であと一歩まで相手を追いつめたことで、「本番もイケる」という楽観論が漂った。

その結果、何が起きたかはご存じの通りだろう。初戦・オーストラリア戦(カイザースラウテルン)で終盤にショッキングな3失点を喫し、一瞬にして暗雲が漂った。第2戦・クロアチア戦(ニュルンベルク)は両者ともに決め手を欠いて0-0に終わり、最終戦のブラジル戦(ドルトムント)は玉田圭司(名古屋)の先制点が飛び出したもの、最後は王国の底力にねじ伏せられ、4失点する結末になってしまった。

欧州主力組に絶対の信頼

今回のザックジャパンも、指揮官は本田や香川ら主力に絶対的な信頼を置き、最終予選が終わるまでほとんどメンバー入れ替えをしなかった。昨夏の東アジアカップ(韓国)以降は山口蛍(C大阪)ら若手を何人か抜擢したものの、攻守の軸は変わらなかった。それでも香川や本田、長友佑都(インテル)らが欧州ビッククラブにいること、直前の親善試合を勝ち続けたことで、周囲の期待は高まる一方だった。しかし、本大会では残酷な現実が待っていた。コートジボワール戦でわずか2分間で逆転負けし、ギリシャ戦では10人の相手を攻めあぐね、最後のコロンビア戦は打ち負けた。

「相手うんぬんは関係ない。自分たちの攻撃的スタイルを貫く」と選手たちは口癖のように言い続けてきたが、残念ながらサッカーには相手がいる。相手が強ければ、主導権を握れない時が出てくるのも当たり前。そういう時は4年前の南アフリカでやったような自陣に引いてブロックを作るような守りも必要になってくる。しかし、ザック監督にはその想定はなかった。だからこそ、コートジボワール戦で守勢に回った時に耐えきれなかったのだろう。指揮官も選手たちも、我々メディアもサポーターも、世界をどこか甘く見ていたいた部分があったのかもしれない。その代償はあまりにも大きすぎた。ドイツという失敗体験があったにもかかわらず、この流れに歯止めをかけられなかった協会の責任も重いだろう。

ザック監督はコロンビア戦後の会見で辞意を表明したが、わずか勝ち点1しか取れなかった指揮官が続投するなどありえない。むしろザック監督のチーム作りが本当に正しかったのかを、もっと早い段階でしっかり検証する必要があった。昨年のコンフェデレーションズカップ(ブラジル)で3戦全敗を喫した時が1つのタイミングだったのかもしれない。ザック監督がチームの戦い方に幅を持たせられなかったそれまでの3年間がやはりもったいないし、残念だ。

次はどのような監督がいいのか。どの相手までなら自分たちのスタイルを貫けるのか。貫けない場合はどう対処するのか…。そういった現実的な戦いを志向できる指揮官が望ましい。選手たちも理想はあるだろうが、世界との差を突きつけられた以上、足元を見つめ直すことも肝要である。この惨敗を無駄にしないことが、日本サッカーの進化につながるはずだ。

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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