「いじめっ子の側に回らなければ、彼自身がいじめの対象になってしまう。今なら、自分を守るためにやったんだということはわかります。しかし、信頼していた人から裏切られるという経験は、中学3年生である自分にとっては、非常につらいものでした。その結果、自分が生きている意味がわからなくなって自殺を決意したんです。金曜の体育の授業の時に、屋上から飛び降りて死のう。そして自分をいじめたやつを一人残らず後悔させてやろうと思ったのです」
人生を変えた恩師、教育の世界に入るきっかけとは
その自殺を決行しようと思っていた週初めの月曜日、松田氏は自身を救ってくれる恩師と出会うことになる。体育教師を務めていた松野先生だ。
「先生は僕に向かって『松田、どうすれば強くなれるのか一緒に考えていこう』という言葉をかけてくださったのです。僕はその一言に救われました。それから松野先生は休み時間にわざわざ教室に来てくれたり、毎朝6時半から一緒にトレーニングに付き添ってくれたり。体を大きくするために運動生理学の本を調べながら、一緒に勉強もしてくれたのです」
そこから松田氏の人生は少しずつだが、変わっていく。松野先生は、松田氏が自分で自分の特性や可能性に気づけるよう、半年以上向き合ってくれたのだ。松田氏は、自分の強みが理解できるようになり、その役割をチームの中で果たすことによって成功体験を積んでいく。徐々に自信を持つようになるとともに、体も大きくなり出したことから、ようやくいじめから抜け出せたという。
その後、高校生になって学生生活を楽しめるようになった頃、松田氏は松野先生にお礼に行ったという。「先生のおかげで救われました。人生が変わりました。一生かけて恩返ししていきたいです」。そう言うと、松野先生からこんな言葉が返ってきた。
「俺に恩を返そうと思うな。同じような状況にいる子どもたちに向き合える大人になれ」
松田氏は、「ビビッときた。マジかっこいいな」と心から思ったという。「そんな言葉が言えるような大人になりたい。それが体育教師を志すようになる原体験であり、教育の世界に入るきっかけでした」。実際、松田氏は日本大学文理学部体育学科に進み、夢だった体育教師になる。

「自分で言うのも変ですが、僕の授業は人気だった。どうすれば子どもたちが興味を持ってくれるのか、教科書に書いていない内容を子どもたちの反応を見ながら取り入れて、授業をつくっていたんです。そこに時間を使ったし、子どもも反応してくれて信頼関係が築けたんだと思います。
しかし、同じ子どもたちが、ほかの授業では話を聞かず、学級崩壊が起きていたのです。その原因を考えると、子どもたちではなく、黒板に向き合っている先生にあるのではないかと。しかも、先生は授業を聞かない理由を子どものせいにしてしまっていた。そこに違和感を抱きました。本来、子どもは悪くない。先生が現状を直視し、学級崩壊をしない授業に改善することが大事だと思ったのです。
そもそも子どもが嫌いで、教育に思いがなくて先生になる人なんていないんですよ。なぜ、学校現場に長くいると先生の熱い思いがそがれてしまうのか。先生の思いが持続するような学校文化をつくるにはどうしたらいいのか。そのためには自分で学校をつくらなければならない。自分が信じる教育に共感してくれる先生と生徒を集めて、先生たちが120%の力で教えていける教育改革をしたいと思ったのです」
情熱や面白みがない学びから子どもたちを解き放ちたい
学校をつくるには、学校経営やリーダーシップを学ぶ必要がある。しかし、日本には自分の希望に沿った教育を受けられる大学はない。そこで松田氏は海外の大学に照準を定め、その結果、ハーバード大学の教育大学院に見事入学を果たすことになる。
「ほかにもコロンビア大やウィスコンシンマディソン大に合格しました。しかし、必ずしも英語やGRE(共通テスト)の成績がよかったとは言えません。それでも合格できたのは原体験やビジョンが明確だったからです。米国の大学は学力だけが入学基準ではないのです。自分のビジョンを実現するために思考する、そのプロセスも評価されるのです」