日本の小・中・高校の教科書には、教科書検定制度が採用されている。民間の会社が発行したものを文部科学大臣が教科書として適切かどうかを審査し、合格したものを教科書として使用することを認めている。

しかも日本では、学校教育法で「教科書を使用すること」が義務づけられている。どの教科書を使うかは、公立の小・中・高校であれば所管の市町村や都道府県の教育委員会によって選ばれ、子どもたちが新学年に進級するときに無償で配られる(高校は有償)。

何を今さら当たり前のことを言っているのかと思うかもしれないが、世界を見渡せば、どんな教科書を誰がつくり、どうやって選ぶのか、はたまた無償なのか有償なのかなどの事情は、日本とはまったく異なるのだ。

グローバル化が、世界の教科書に与えた影響とは

先月リリースされた「海外教科書制度調査研究報告書」(公益財団法人教科書研究センター)によれば、日本のような教科書検定制度はアジア諸国に多いが、ドイツ、スペイン、ロシアなども採用している。ほかにも、国が発行する教科書を使う国定教科書制度を維持する国が、依然としてアジアや中近東諸国にあることや、欧米では自由発行、自由採択制度を基本とする国が多いことがわかる。この調査研究を中心となってまとめた広島大学名誉教授の二宮皓氏は、次のように話す。

二宮 皓(にのみや・あきら)
広島大学 名誉教授・愛知みずほ短期大学 特任教授
広島大学教育学部卒業、米コネチカット大学にフルブライト留学後、広島大学大学院修士課程修了。その後、文部省(大臣官房調査課)、広島大学教授、広島大学理事・副学長、放送大学理事・副学長、比治山大学学長を経て2018年より現職。専門は比較・国際教育学、教育制度学。現在、スーパーグローバルハイスクール(SGH)事業の検証に関する有識者会議の企画評価会議座長を務める
(写真は本人提供)

「自由発行、自由採択制度の国だからといって、どんな教科書をつくり、どのような教科書を使うのかについて、国はいっさい関与しないかというと、それは少し複雑です。中には英国のように何の教科書を使うかは、教師にすべて任せることを伝統とする国もありますが、米国やカナダでは、州や学区の教育委員会が手続きにのっとって教科書を採択しています。また英国以外の欧州の国においても、教科書の採択で工夫している国が多いのです。

自由発行、自由採択制度では、教科書使用義務を課すことはないため、教科書を使用しない授業があってもおかしくはありません。しかし、調査によれば米国など多くの国では実際の教科書依存は80〜90%ともいわれ、その意味ではいずれの国でも教科書の利用率は高いと考えられます」

かつては、日本でいう学習指導要領のような教育課程を編成する際の基準がない国が多かったという。だが1980年代後半から、グローバル化の進展により、国際競争力を維持していくうえでの教育の重要性に注目が高まり、国家教育課程基準(ナショナルカリキュラム)を定める国が増えた。「海外教科書制度調査研究報告書」によると、国家教育課程基準を定めてないのは、今やオランダとデンマークのみだ。

「ここから、世界の教科書の状況がガラッと変わった」と二宮氏は話す。政府が国家教育課程基準にそぐわない教科書にお金を出さないとなれば、採択の過程で選ばれる基準に合った教科書がつくられるし、学校や教師も採択された教科書の中から最適なものを選ぶようになる。自由発行の国であっても、基準を定めたり、採択で網をかけることで、国が国際競争力の向上に重要な教育に積極的に関わっていこうという姿勢が現れ始めたのだ。

世界トップクラスに躍り出た「エストニアの奇跡」

この流れに拍車をかけたのが、OECDのキー・コンピテンシー育成論とPISA(Programme for International Student Assessment OECD生徒の国際学習到達度調査)である。

「キー・コンピテンシー育成論とは、簡単に言うと、どれだけ学んだかという知識の量を重視するのではなく、どんな力を獲得したのか、つまり何ができるのかを重視して育成しようということ。創造力や協調性、対話力、リーダーシップなど、キー・コンピテンシーを構造化して定義しています。

このキー・コンピテンシーを真っ先にカリキュラムに取り入れたのはニュージーランドですが、以来20年にわたって世界の教育はコンピテンシー論一色になっています。もちろん教科書も、知識ではなくコンピテンシーを重視、育成する教科書の模索が始まっています。そして教科書にとっては、PISAが実施された2000年も重要な年といえます」(二宮氏)

PISAとは、OECDが79カ国の15歳を対象に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの能力について、00年から3年置きに行っている生徒の国際学習到達度調査だ。日本はいずれも上位に位置しているものの、順位が上がったり、下がったりするたびに話題になり、世界の国々もその結果に一喜一憂している。00年にフィンランドがPISAで世界一となり、フィンランドへの注目が一気に高まったことを覚えている人も多いだろう。

そのPISAで最近話題になっている国が、エストニアだ。18年のPISAで、エストニアが読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの成績で世界トップクラスに躍り出たのである。

「フィンランドが世界一になったとき、その理由は教員養成など教員の力量にあるとされました。シンガポールのように毎回上位に位置しながらも、必ずしも明確に何に起因するのかわからない国もありますが、エストニアが世界トップクラスとなった理由は、国を挙げてのデジタル化にあるとされています。

電子国家として注目を集めるエストニアは、教育においても00年までに1人1台コンピューター体制を整備し、先生はもちろん国民全体のデジタルリテラシーの向上に努めてきました。11年には早くもデジタル教科書を導入し、『学校はクラウドの中にある』と言っています。

そのエストニアがPISAで欧州でトップ、世界でも上位の成績を取ったことで、デジタル教科書・教材、学校のデジタル化の学力向上効果を実証するものと世界で注目を浴びています。私は、これを『エストニアの奇跡』と呼んでいます」(二宮氏)

昨年、日本でも遅ればせながら、学習者用デジタル教科書の導入が制度化された。だが、それは紙の教科書をそのまま電子化したもので、あくまで紙の教科書を主たる教材として、必要に応じてデジタル教科書を併用することができるようになっただけだ。

実際、デジタル教科書は、いまだにその良しあしが議論されており、費用などの関係もあってなかなか普及が進まない。そもそも1人に1台の端末が整備されている必要がある。人口がわずか約130万人の小国とはいえ、エストニアのようなデジタル化の恩恵を存分に受けている国を見ると、確かに今の日本は心もとないと言わざるをえない。

「エストニアをはじめデンマークや英国、米国におけるデジタル教科書・教材開発、またデジタル教科書も検定の対象とする韓国の例は、日本の参考になるでしょう。またフィンランドでは、とりわけデジタル教科書・教材こそがコンピテンシー育成に効果的といわれています。これからの教育はデジタル化、その先のAI活用なしには語れません。日本にも思い切った判断が必要ではないでしょうか」(二宮氏)

今回取り上げた「海外教科書制度調査研究報告書」は、43カ国・地域の教科書制度やデジタル教科書、STEAM教育のための教科書・教材、また英語教科書などについて調査した報告書だ。従来の教科書制度の比較といえば、欧米の先進国やアジアの主要国、あるいは必要に応じてスウェーデンやフィンランドについて研究されることが多かった。だが、本報告書は中東や中南米、アフリカ諸国も含めて、広く世界の最新情報を同じ条件で収集したという点が画期的といえる。

この報告書を現場の教員、教育関係者は、どう活用すればいいのか。

「してはいけないことは、あの国のここがいいからやってみようということ。つまりある国の制度の一片を切り取るという態度はよくありません。世界全体を見ながら、いろいろな国がさまざまなことをやっている中で、歴史や文化、あるいは政治・経済事情などの背景を理解したうえで、日本の位置づけを知って、どう改善すればいいかを考えてほしい。世界の教育事情を知り、固定観念にとらわれず、将来を想像しながら、子どものコンピテンシーを伸ばす先生になってほしいですね」(二宮氏)

グローバル化が世界の教育のあり方を変えたが、デジタル化は、その姿を一変させるだろう。子どもたちをどう育てたいのか。日本の教育においても、前例にとらわれない決断が必要になるかもしれない。

※Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Arts(デザイン、感性等)、Mathematics(数学)の各教科での学習を実社会での課題解決に生かしていくための教科横断的な教育

(注記のない写真はi-stock)