台湾デジタル大臣「唐鳳」を育てた教えと環境 天才をつくった恩師の言葉と両親の教育

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前置きが長くなりましたが、なぜこのような交換様式をRadicalxChangeと名付け、Radical x Changeと別々の単語に分けて表示しなかったのか。それは日本の文学者であり哲学者である柄谷行人(注3)さんが提唱している交換様式X、すなわち「交換様式論」(注4)から着想したものだからです。

家庭でも身に付けられる「協働」という概念

――前編でお話されたSDGs(持続可能な開発目標)に関してもそうですが、唐鳳さんは周囲を巻き込み、活動の輪を大きく広げていく、すなわち「協働」することが得意だと感じます。協働することの意義や方法について、大人が教えられることはありますか?

唐鳳:文化や世代、地域の枠を超えた協働は、経験を積み重ねることでより簡単にできるようになります。そのため、親であればまず子どもと世代の枠を超えて協働してみてはどうでしょうか。今は新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)で移動が難しくなっていますから、地域の枠を超えた協働や、異なる文化や言語に触れることは難しいかもしれません。とはいえ、親と子で研究チームを結成することはできるのではないでしょうか。

振り返ってみると、私も小さい時に両親に多くの質問をしていました。そのとき、両親は「それは私も確かに知らない。じゃあ、一緒に図書館に行って調べようか」とよく言ってくれました。親子で一緒に調べてくれたのです。親戚など、周りの大人たちもそうでした。現代では図書館ではなくパソコンなどの端末を開いて、サーチエンジンを見ることになると思いますが、それも同じことです。親子で、世代の枠を超えて協働してみることで、よい一歩を踏み出せると思います。

コロナ禍の話の際には、わざわざマスクをつけて見せてくれた唐鳳氏

――前回、校長先生のお話をされました。教育を受ける中で恩師、尊敬すべき先生は中学校の校長先生でしょうか。

唐鳳:そうです。中学校の時の校長先生は、とても大切な存在です。彼が言ってくれた「明日からは学校に来なくてよい」という一言は最も重要で、私の人生に大きな影響を与えてくれました。

「クリティカルシンキング」と「クリエーティブシンキング」

――唐鳳さんのご両親は新聞社で働いていらっしゃいました。ご家庭ではどのような教育を受けましたか。

唐鳳(とう・ほう、オードリー・タン) 1981年台湾・台北市生まれ。幼少からコンピューターに興味を示し、12歳からプログラミング言語を勉強。プログラマーとして有名になる。14歳で中学を中退。15歳で起業。19歳で米シリコンバレーでも起業。2016年からデジタル大臣として、台湾史上最年少の若さで入閣。現職。

唐鳳:私の父はソクラテス式問答法を応用して、私と会話することを得意としました。つまり、何の概念も植え付けず、植え付けられたことがあるとすれば、「誰からも概念を植え付けられるな」という概念でした。よく言われる「クリティカルシンキング」のことです。批判的思考というと、人を責めることのように聞こえますがそうではありません。

クリティカルシンキングの「批判的な」という意味は、自分の考えを言うことはサポートするが、その考えはどのような状況下に適用されるのかを同時に説明せよということです。これは、物事をクリアに考える方法であり、私が幼い頃から、父はこのような考え方のもとに私を教育してきました。

一方、母は「クリエーティブシンキング」を重視していました。私の考えが、たとえ個人的なものであっても、その内容を言語化し、明確に説明できれば、必ず自分と同じ考えを持った人に巡り会うことができる。そうすると、私が考えたり、説明したりしたことはすでに個人的な考えではなくなり、公共性のある考えになる。そうすることで、同じ考えや感覚を持つ人たちが、どうすればよりよい生活を送れるかをともに考えることができる、と教えてくれました。いわゆる、社会的アドボカシー(擁護、支持、唱道)に発展するということです。

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