多様な文化を知ることが、「寛容」につながる

――前回は、唐鳳さんが考えるデジタル教育の本懐についてお聞きしました。ここからは唐鳳さんの個人的なことについてお聞きします。唐鳳さんは幼い時から読書家だったと聞きました。座右の書、影響を受けた本というのはありますか。

唐鳳:最も影響を受けた本があるにはあるのですが、とても推奨しにくいですね。合計16万項目ある『再編国語辞典』なんですよ。辞典の良いところは、自分が直接的な体験をしていなくても語意を理解できるという点です。

以前、私は仲間と一緒に『萌典』(https://www.moedict.tw/)という辞典を作りました。これは台湾の文部科学省に当たる教育部が、日本語の「萌え」と「萌える」(芽生える)という意味を兼ねて作ったものです。ここでは、紙の辞書のように時間をかけて調べるのではなく、さまざまな機能を設計し、提供することで中国語(華語)や台湾語、客家語はっかご、さらには台湾の原住民(注1)の言葉などをすべて同じインターフェースに収めて調べることができます。

つまり1つの言葉を学ぶときに、多くの異なる言葉を同時に学べるようにしたわけです。そうすることで、自分たちの言語、文化のみで考えるというこれまでの考え方を崩し、言語、文化の枠を超えた学習環境を実現しました。これはとても大事なことです。

誰もが多くの文化に精通することは不可能ですが、自分の身の回り、例えば台湾においても、これほどまでに多様な文化が存在していることを、まず『萌典』で知り、その事実に慣れていけば、おのずと心を広く持ち続けることができるのではないでしょうか。

質問に対する回答はどれも明晰で、時に複数言語や、ジェスチャーも用いて説明してくれる

「ソクラテス式問答法」と「新たな交換様式」

――唐鳳さんの言動に対して、しばしば「哲学的」だとの評価を聞きます。小学生の時から「ソクラテス式問答法」(問いを立て、それに答えるという対話に基づいて批判的思考を活性化させ、考えを明らかにする方法)で対話をされていたという逸話もあります。お好きな哲学者、哲学書というのはありますか。

唐鳳:私は現在、RadicalxChange(https://www.radicalxchange.org)という非営利ソーシャルイノベーション組織に参加しています。本部は米ニューヨークにありますが、全世界で運営されている組織です。私はデジタル大臣として働く傍ら、起業も行っています。

私と一緒に起業した人物で、エリック・グレン・ワイル(E.Glen Weyl)さんは、起業する一方でマイクロソフト社で未来学者のような役割を担っています。またヴィタリック・ブテリン(Vitalik Buterin)さんは、われわれと起業しながらEthereum(イーサリアム)(注2)というソースコードを開発する計画に携わっています。

ヴィタリックさんのEthereum上で研究開発された「新たな交換様式」は、不特定多数の人が公共の利益のために交換することを可能にするものです。これは一見すると個人のための利益に見えるかもしれませんが、最終的にはコミュニティー全体の利益になるという共通認識につながります。これらはメカニズムデザインの活用方法であり、私はこれを台湾の政治にできる限り応用するようにしています。

前置きが長くなりましたが、なぜこのような交換様式をRadicalxChangeと名付け、Radical x Changeと別々の単語に分けて表示しなかったのか。それは日本の文学者であり哲学者である柄谷行人(注3)さんが提唱している交換様式X、すなわち「交換様式論」(注4)から着想したものだからです。

家庭でも身に付けられる「協働」という概念

――前編でお話されたSDGs(持続可能な開発目標)に関してもそうですが、唐鳳さんは周囲を巻き込み、活動の輪を大きく広げていく、すなわち「協働」することが得意だと感じます。協働することの意義や方法について、大人が教えられることはありますか?

唐鳳:文化や世代、地域の枠を超えた協働は、経験を積み重ねることでより簡単にできるようになります。そのため、親であればまず子どもと世代の枠を超えて協働してみてはどうでしょうか。今は新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)で移動が難しくなっていますから、地域の枠を超えた協働や、異なる文化や言語に触れることは難しいかもしれません。とはいえ、親と子で研究チームを結成することはできるのではないでしょうか。

振り返ってみると、私も小さい時に両親に多くの質問をしていました。そのとき、両親は「それは私も確かに知らない。じゃあ、一緒に図書館に行って調べようか」とよく言ってくれました。親子で一緒に調べてくれたのです。親戚など、周りの大人たちもそうでした。現代では図書館ではなくパソコンなどの端末を開いて、サーチエンジンを見ることになると思いますが、それも同じことです。親子で、世代の枠を超えて協働してみることで、よい一歩を踏み出せると思います。

コロナ禍の話の際には、わざわざマスクをつけて見せてくれた唐鳳氏

――前回、校長先生のお話をされました。教育を受ける中で恩師、尊敬すべき先生は中学校の校長先生でしょうか。

唐鳳:そうです。中学校の時の校長先生は、とても大切な存在です。彼が言ってくれた「明日からは学校に来なくてよい」という一言は最も重要で、私の人生に大きな影響を与えてくれました。

「クリティカルシンキング」と「クリエーティブシンキング」

――唐鳳さんのご両親は新聞社で働いていらっしゃいました。ご家庭ではどのような教育を受けましたか。

唐鳳(とう・ほう、オードリー・タン) 1981年台湾・台北市生まれ。幼少からコンピューターに興味を示し、12歳からプログラミング言語を勉強。プログラマーとして有名になる。14歳で中学を中退。15歳で起業。19歳で米シリコンバレーでも起業。2016年からデジタル大臣として、台湾史上最年少の若さで入閣。現職。

唐鳳:私の父はソクラテス式問答法を応用して、私と会話することを得意としました。つまり、何の概念も植え付けず、植え付けられたことがあるとすれば、「誰からも概念を植え付けられるな」という概念でした。よく言われる「クリティカルシンキング」のことです。批判的思考というと、人を責めることのように聞こえますがそうではありません。

クリティカルシンキングの「批判的な」という意味は、自分の考えを言うことはサポートするが、その考えはどのような状況下に適用されるのかを同時に説明せよということです。これは、物事をクリアに考える方法であり、私が幼い頃から、父はこのような考え方のもとに私を教育してきました。

一方、母は「クリエーティブシンキング」を重視していました。私の考えが、たとえ個人的なものであっても、その内容を言語化し、明確に説明できれば、必ず自分と同じ考えを持った人に巡り会うことができる。そうすると、私が考えたり、説明したりしたことはすでに個人的な考えではなくなり、公共性のある考えになる。そうすることで、同じ考えや感覚を持つ人たちが、どうすればよりよい生活を送れるかをともに考えることができる、と教えてくれました。いわゆる、社会的アドボカシー(擁護、支持、唱道)に発展するということです。

クリエーティブシンキングの意味は、既存の型や分類などにとらわれることなく、自分の方向性を見つけていくことです。星座でいえば、すでに構成されている星座からいったん離れて、自分で星をつかむように見て、自ら新たな星座を構成していくということはできますよね。母はこのような考えで私を教育しました。

――私(聞き手:福田)の父も新聞記者だったのですが、子どもの頃に、父から「聞くことは大事だが、聞く前に自分で調べてみるのがより大事」と口を酸っぱくして言われたことを思い出しました。

唐鳳:それもすばらしいことです。私が小さい頃には、まだインターネットはありませんでした。調べるということは、今より手間がかかり、難しかったでしょう。ただ、今の子供たちには、インターネットがあります。私の世代はデジタルへの「移民」ですが、今の子どもたちはデジタル「ネイティブ」と言ってもいいですね。調べるということについては、とてもハードルが下がっていると思いますよ。

辺鄙へんぴな場所であるほど先進的に」

――現在デジタル大臣として働いていますが、デジタル大臣として今後の目標、あるいはやってみたいことはありますか。

唐鳳:10年単位でいえば、SDGsですね。2030年までに達成しなければなりませんから。CO2の削減目標などすぐに達成するのは難しいものもありますが、今回の新型コロナで経済活動が停滞したことにより達成できる可能性もあるかもしれません。

――以前、台湾におけるSDGsの好例として、台湾製の電動スクーター「Gogoro」を紹介されていました。そのほかにもよい例はありますか。

唐鳳:私はブロードバンドの普及を挙げたいと思います。「ブロードバンドは人権だ」という話をよくするのですが、それはどのような場所でもインターネットにつながるべきだということを指します。

実は、私も昨日新たに5Gの携帯電話を契約しました。台湾では、5G網を発展させる中で、まず「辺鄙へんぴな場所であるほど先進的に」という、とても変わった手法を採用しています。これは、現状で4Gがつながりにくい場所こそ先に5Gを取り入れていくというやり方です。

現在、台湾では「非スタンドアローン型」(NSA)といって、4G基地局の上に5Gを構成して試用している状況ですが、これから5G網を本格的に構築していく際には、都市部ではなく地方を優先して普及させていく予定です。なぜ地方を優先するのかというと、そのような地域では、最寄りの学校や医療機関に行くために、ほかの地域よりも距離があることが多く、通信網の確保は重要だからです。そうすることで、遠隔的な教育や医療体制が必要になった場合、優先的に5G網を確保することができます。

――日本でも都市部と地方間のデジタルデバイド(情報格差)が問題になっていますが、台湾の場合、地方であればあるほど最先端であるべきという考えなのでしょうか。

唐鳳:そのとおりです。周波数は公共の資源でもあります。そのため、5Gの周波数帯をオークションにかけた際、市場価格以上に高額な入札保証金を課しました。たしか800億台湾ドル(オークション時、日本円で約3200億円)だったと記憶していますが、そうすることで電気通信事業者が、通常の加入者だけでは利益が上がらない地域に、優先的に予算を投入することを課しています。これにより、「辺鄙へんぴな場所であるほど、先進的に」という目標を達成するべく、電気通信事業者が費用を使うようになります。これも、公共政策におけるオークションというメカニズムデザインの好例だと思います。

「万事には裂け目がある。その裂け目は光の入り口である」

――最後に、日本の教育に関わる子どもたち、親、先生たちにメッセージをいただけないでしょうか。

唐鳳:私からのメッセージは、皆さんが誰であっても、同じです。私が大好きなカナダの詩人・歌手であるレナード・コーエン(Leonard Cohen)の「Anthem」の一節をご紹介します。

The birds they sang
At the break of day
Start again
I heard them say
Don't dwell on what
Has passed away
Or what is yet to be
Yeah the wars they will
Be fought again
The holy dove
She will be caught again
Bought and sold
And bought again
The dove is never free

Ring the bells that still can ring
Forget your perfect offering
There is a crack in everything
That's how the light gets in

Leonard Coen「Anthem」より一部引用

「万事には裂け目がある。裂け目があるからこそ、そこから光が差し込むのだ」ということです。

――今回はありがとうございました。

唐鳳:ありがとうございました。Live long and prosper!(長寿と繁栄を!)

唐鳳氏の思考や発言は、単にIT分野に秀でているだけではなく、すべてに深く広い思考が土台になっている

(注1)台湾の原住民=中国大陸からの移民が増える17世紀以前から、台湾に居住していた先住民族を台湾では公式的に「原住民」と呼ぶ。また、台湾では中国語(華語)のほかにも、福建省南部の言葉が台湾で独自に発展した台湾語(台語)、客家と呼ばれる人たちが話す客家語など多くの言語が話されている。
(注2) Ethereum=分散型アプリケーションやスマートコントラクト(契約のスムーズな検証や執行、実行、交渉などを狙ったコンピュータープロトコル)を構築するためのプラットフォームの名称であり、関連するオープンソース・ソフトウェア・プロジェクトの総称。ヴィタリック・ブテリンさんが提唱したもの。
(注3) 柄谷行人(からたに・こうじん)=1941年生まれ。著書に『定本 日本近代文学の起源』『トランスクリティーク』『世界史の構造』『哲学の起源』(すべて岩波現代文庫)『世界史の実験』(岩波新書)など多数。
(注4) 交換様式=柄谷行人氏が1998年に着想し、2010年刊行の『世界史の構造』でひとまず完成されたと思われる「交換様式論」を指す。社会システムの歴史を交換様式がどうであったからという観点から説明する理論。交換様式には4つのタイプがある。「互酬交換」(贈与とお返し)という関係を持つA、「服従と保護」(支配と被支配)の関係をB、「商品交換」(貨幣と商品)という市場で見られる関係をCとする。ここで、柄谷氏は交換様式Aは、交換様式BとCが浸透することで解体することになるが、その後、より高い次元で回復するという。互酬原理によって成り立つ社会Aは国家の支配Bや貨幣経済Cによって解体されるが、互酬的な関係が高次元で回復する。その回復した状態こそ交換様式D=Xと説明する。

前編「台湾の超天才『唐鳳』が語るデジタル教育の本懐」はこちら