「叱る」と「怒る」は何が違う?

──ご著書『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)が注目されていますが、「叱る依存」とはどういうことでしょうか。

よく「『叱る』と『怒る』は違う」といわれますが、叱られる側からすればどちらも恐怖や苦痛、不安を感じるもの。そのため、私は「叱る」を「ネガティブな感情体験を与えることで、相手をコントロールしようとする行為」と定義しています。その視点から、脳科学や私が専門とする心理学に基づき発想した仮説が「叱る依存」です。

臨床心理士、公認心理師の村中直人氏

では、どういうメカニズムなのか。人はネガティブな感情を強く感じると、脳の扁桃体(へんとうたい)を中心とする防御システムが働き、「戦うか、逃げるか」の反応が起きます。だから大人に叱られた子どもの多くは、権力格差があるので戦わず、苦痛や恐怖から逃げるために謝るか、言われたとおりに行動します。

一方、叱る側は、子どもが反省を見せると「自分には影響力がある」と感じ、この自己効力感が報酬となります。さらに、処罰行動は脳の報酬系回路を活性化することが明らかになっているので、ネガティブな感情体験を与える「叱る」には「処罰感情を充足する報酬」もついてくることが考えられます。こうしたご褒美によって叱ることが気持ちよくてやめられなくなる。これが、私が考える「叱る依存」です。

──叱られ続けると、子どもにはどんな影響があるのでしょうか。

強いストレス状況は、脳の前頭前野(知的活動に重要だと考えられている部位)の働きが大きく低下します。つまり、叱られ続けると苦痛やストレスを制御できない状況となり、諦めや無力感が生まれます。謝るのも苦痛を回避するためなので、なぜ叱られたのか理解していない場合が多い。叱る行為は、人の学びや成長には効果がないのです。むしろ弊害のほうが多いことが近年の研究でわかっています。

愛情があっても陥る可能性がある「叱る依存」

──「叱る依存」について考えるきっかけが何かあったのでしょうか。

活動背景が大きく影響しています。私が臨床心理士として働き始めたのは2000年初頭。当時は発達障害という概念が教育界に流れ込んできた時期で、大阪市の教育センターで教育相談を担当していた私は、急増する発達障害に関する相談も受けていました。

村中 直人(むらなか・なおと)
臨床心理士、公認心理師、Neurodiversity at Work 代表取締役、一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事(共同代表)
1977年生まれ。臨床心理士として公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど主に教育分野で勤務し、発達障害、聴覚障害、不登校など特別なニーズのある子どもたち、保護者の支援を行う。2008年から多様なニーズのある子どもたちが学び方を学ぶための学習支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、「発達障害サポーター’s スクール」の運営を通じ、支援者育成にも力を入れている。現在はニューロダイバーシティに着目し、企業向けに日本型ニューロダイバーシティの実践サポートも行う

中でも印象に残っているのが、「30分でできるような宿題に1〜2時間かかる」といった学習面に関する保護者の相談。泣きながら宿題をするお子さんとそれを見守るお母さんが、宿題のたびに親子げんかをしてしまうような場合が少なからずありました。こうしたケースを複数聞く中で「相談室の枠だけでは限界がある」と考えるようになり、学校ではうまくいかない子どもたちの学習支援事業を仲間と一緒に始めました。

その事業の中で出会った親御さんたちは、教育への意識も高く愛情深い方ばかり。しかし、そういった親御さんたちでさえ、「叱る」に頼ってしまうケースが多々ありました。つまり、「叱ってしまうのは愛情や人格の問題ではない」ということをずっと見てきたのです。

そんな中、より子どもたちを理解するために脳科学を学び始めたところ、処罰行動が脳の報酬系回路を活性化するという研究報告を知りました。誰かを罰することがモチベーションになることに衝撃を受け、「叱る依存」という発想と言葉が生まれました。

──つい子どもを叱ってしまうのは、定型発達とされるお子さんの親御さんや学校の先生にもあることですよね。

はい、誰しも「叱る依存」に陥る可能性があります。しかし、発達障害と診断されたお子さんを持つ親御さんは日々、「お子さん、もうちょっと何とかならないの?」という周囲からの圧を強く感じているため、より「叱る依存」に陥りやすくなっています。社会構造を変えなければいけないと思っています。

「ニューロダイバーシティ」を持ち込み、学校の仕組みを変える

──「叱る依存」から脱却すべく社会構造を変えるには何が大切ですか。

カギとなるのは、「ニューロダイバーシティ(人の神経学的な多様性)」という概念です。これは、自閉スペクトラム症の当事者の方々から起こった社会運動で、「脳や神経系のあり方は多様であり、文化が違うようなもの。その違いを認めて社会に生かしていこう」というものです。

これはまさに私が学習支援事業を通して感じていたことでした。発達障害などの「ニューロマイノリティー(脳や神経系の情報処理の仕方が非定型の神経学的少数派)」のお子さんと、神経学的多数派は持って生まれた文化が違うのです。そのために親子間、子どもと教員の間など異文化間の衝突が起こり、「叱る依存」も生じやすいのです。

ニューロダイバーシティの言葉が使われ始めた1990年代後半ごろに比べ、今は脳や神経系の研究が進み、ニューロダイバーシティに関する科学的なエビデンスが得られるようになりました。今後は科学的・医学的な視点を持った社会運動として展開しつつ、その哲学を社会システムの構築や会社経営などに生かす必要があると考えます。

なので、教育現場においても、ニューロダイバーシティを持ち込むことと、「叱る依存」の問題解決は表裏一体だと思っています。

──教員には具体的にどのようなことが求められますか。

教育現場で「叱る依存」の沼にはまっている人は多いですが、これは個人の資質の問題ではなくシステムの問題です。現在、圧を持って子どもをコントロールできると「指導力がある」と高く評価される教育現場が多くあります。叱ることが指導の大前提になっており、“叱る依存教員”を大量発生させるシステムになっているのです。

教員の方々には、まずはこのシステムを変える側に立ってほしいと思います。工藤勇一先生(現横浜創英中学・高等学校校長)による麹町中学校の改革例など、公教育の好事例を見ると現場からボトムアップで変えられることは多いので、個人ではなく学校の仕組みに着目するのがよいでしょう。

とくに好事例といわれる学校には共通して、「教員と子どもの権力格差」を是正する仕組みがあります。例えば、まず「複数担任制」に着手する学校は非常に多いですね。1人の教員による従来の担任制では、子どもたちはその教員から逃れることができず権力格差が生まれます。しかし、複数担任制では子どもたちは教員を選べる、つまり子どもたちの権利が増えるわけです。すると圧の強い教員は人気がなくなって、教員に対する評価の軸も変わりますし、子どもたちが自主的に動く余地が生まれます。このように権力勾配を緩やかにする仕組みがあると結果的に、「叱る」も減っていきます。

また、「内申点も含めて評価される試験」と「内申点を含めない一発勝負の試験」のどちらがよいか、受験スタイルを子どもたちが自分で選べる仕組みにするだけで教育現場はガラッと変わると思います。すでに一部の自治体は、公立高校の入学者選抜で不登校生徒の救済策として実施していますが、生徒を限定せずに全員が選べるようにするべきです。

内申点は以前から問題視されています。議論が進まないのは、指導に従わない生徒に「内申書に影響するぞ」と罰を与えて圧でコントロールしたい現場が多いから。個人的には「内申点全廃派」ですが、せめて選択制へと見直すべきです。これは生徒の権利を拡大し、権力勾配を緩やかにすることにつながるはずです。

学校現場に「ラーニングダイバーシティ」を

──学びに関して「ここを変えるとよい」と思うことはありますか。

公教育の「ラーニングダイバーシティ」が大事だと思います。ニューロダイバーシティというと特別支援教育の話になってしまいがちですが、定型発達といわれる多数派の子どもでも、学び方の特性は実に多様です。しかし現状は、そうした多様さはないものとされ、教え方も問題の解き方も1つに限定されがちです。

例えば、算数のさくらんぼ計算や掛け算の順序問題がよく話題になりますが、答えが合っていても先生が教えた解法でないと不正解にする学校現場は少なくありません。学び方の方法まで管理するのは圧によるコントロールと同じです。

──文部科学省が推進する「個別最適な学び」とは逆行していますよね。

はい。経済産業省も「学びの自律化・個別最適化」を掲げ、内閣府も「Society 5.0の実現に向けた 教育・人材育成に関する政策パッケージ」で「認知の特性」に応じた学びに触れていますが、解法まで管理する学校教育の現場は真逆の流れになっています。

ただ、国の教育提言はとてもよいのですが、「学び方の多様性」の視点が不十分だと思います。あくまでも「普通の子(多数派)」と「普通ではない子(少数派)」の二項対立がベースになっています。保護者の中にも「学び方には正解があり、できる子が優秀で、できない子は落ちこぼれ」という意識が根強くありますが、すべての子どもの学び方にはそれぞれ特徴があります。

私は20年以上の学習支援事業の中で、そのことを突きつけられてきました。私たちは塾や家庭教師という形で個別指導を行っていますが、ニューロマイノリティーの子だけでなく、授業についていけない子など、学校教育の枠組みからこぼれ落ちてしまったさまざまなお子さんがいます。

そう話すと、学校教育で特別支援に関わっている方ほど「すごく大変でしょう」とおっしゃいますが、実際は大きなトラブルもありませんし、みんな落ち着いてそれぞれの教科学習に取り組んでいます。それはなぜか。彼らに合った枠組みで、彼らを熟知したスタッフが一人ひとりと「何の目的で通うのか」を話し合ったうえで勉強しているからです。

この活動を通して感じたのは、やり方を工夫するだけで勉強ができるようになる子がたくさんいること。勉強がうまくいかないのは、子どもの側に問題があるというより、環境や学びの方略の問題が大きいと実感しました。

私の友人にも、読書が苦手だったけれど30歳を過ぎて「自分は座って読むのが苦手なだけで、立っていると読める」と気づいて読書家になった人がいます。それだけ情報処理の癖や学び方は人によって多様なのです。

「あなたに合う方法で学ぼう」というメッセージを発信し、その権利が保障される教育現場をつくっていく。そんなふうに、あるべき姿を多様化・柔軟化していくことで、確実に「叱る依存」は減りますし、子どもたちは主体的になっていくでしょう。

(文:吉田渓、写真:村中直人氏提供)