「今の仕事が向いてない」と悩む人への処方箋 江戸時代より「天職に出会う」のが難しい現代
もしかすると「そんなのは贅沢な悩み」だと感じる方もおられるかもしれません。今の日本は、さほど経済的に順調というわけではありません。「失われた30年」という表現もありますが、今のように経済が停滞した時代においては、「仕事の向き・不向き」を考えるなど贅沢じゃないか、とりあえず生活できる分だけ稼げるなら、それで十分じゃないか。そう考える人がいて当然です。
ただ私は、今の世の中は、多くの人がそうした「自分はこの仕事に向いていないのではないか」と不安を覚える「背景」があるようにも思います。これは、極めて現代的な問題だと思うのです。
現代は「職業の種類」が減っている
最近、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーンという人が、「人間が行う仕事の約半分は機械に奪われる」という未来予測を発表し、話題となりました。人工知能(AI)やロボットの進歩によって、人間じゃなくてもできる仕事はどんどん機械に置き換わっていき、その結果、今ある仕事のほとんどは消滅してしまう、というのです。
この未来予測が正しいのかどうか、専門家ではない私には判断できません。その一方で、そもそも、こうした「仕事がなくなっていく」という傾向そのものは、実は今に始まったことではない、というのが私の意見です。実際、近代に入ってからの数百年だけをみても、社会の進歩に従って、人間が担うべき「仕事の種類」は、どんどん減り続けています。
日本の場合であれば、江戸時代にさかのぼってみるとそのことがよくわかります。江戸時代には、なにか1つの製品を作る工程が、それこそ100を超えるぐらいに細分化され、それぞれの分野に、専門の職人がいました。
例えば「刀を作る」というだけでも、鉄を製錬する人、鉄を打って刀の形にする人、刃を研ぐ人、つばを作る人、サメ皮をなめす人、さやを作る人、色を塗る人……、そういうたくさんの工程に、それぞれまったく性質の違う仕事を担う、無数の人々が関わっていました。
これは、刀だけではありません。茶の湯という文化は、茶室を造る職人、茶器を焼く陶芸家、和菓子屋さん、柄杓(ひしゃく)や茶筅(ちゃせん)を作る人など、さまざまな職業と共に栄えていました。
しかし、こういった非常に細分化され、専門化されたたくさんの職業は、さまざまな企業・組織に吸収されるなかで、なくなりつつあります。「納豆屋さん」「豆腐屋さん」「さお竹屋さん」などなど、落語に出てくる「お店」は、今ではほとんど姿を消し、大型スーパーに置き換わっています。
仕事が細分化され、たくさんの種類に分かれているということは、ある種の「豊かさ」だと僕は考えます。なぜならそれは、多種多様な人材を活かしうる「場」があったということだからです。鉄を打つのが得意だけれど、物を売るのは苦手だという人もいる。そういう人の多様性を活かす場が、かつての日本には豊かに存在していたのだと思うのです。
職業選択の自由はありませんでしたが、「多様な能力を生かす、多様な場があった」という意味では、江戸時代の労働環境は「豊か」であった側面もあると思うのです。