駅ナカ、商業施設より「椅子」がもっと必要だ 空港ロビーには大きな待合室があるのに…

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ひと昔前の日本の鉄道駅ならめずらしくなかったこの風景、今いちばんぴったりくるのは空港の出国ロビーだろうか。飛行機は搭乗の1~2時間前に空港に着くことを目安にしており、それこそあらゆる方面向きの飛行機とそれに乗る人々が一堂に会し、搭乗までの暇をつぶす。それらの人をもってしてもまだ余る大量の椅子がそこにはある。ノートパソコンを広げる人、ぼんやりとくつろぐ人、長い長い通路をひたすらカートを押して歩く人。国際色あふれた旅行鞄、免税店のショッピングバッグ、ひっきりなしに流れる日本語、それにつづく多言語の搭乗案内。

駅が利便性と効率に優れた列車乗降の場から大きな商業施設、さらに社会に貢献する公共のスペースとして可能性を広げることは、決して悪いことではない。そもそも日本の駅の待合室や椅子が簡素で事足りるのは、あらゆる列車が分刻みで正確に到着、出発しているおかげで時間通りにホームに来ても十分間に合うことによる。しかし、その進化の陰で犠牲になったのが、無意味に存在していた薄暗いだだっぴろい空間と、そこで時間をつぶす人、それが織りなす旅の風情であったとするならば。

もっと椅子があればいいのに

あらゆる企業がしのぎを削って、効率と収益を求める時代、「駅ナカ」や「駅ウエ」に今更そんな無駄なものをつくれるかと言われそうだが、「駅ナカ」で大量に買い物した人だって、紙袋をたくさん提げている。せめてもう少し椅子があれば!

『鉄道ジャーナル』2018年12月号(10月20日発売)。特集は「車両譲渡の実際」(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

椅子に座るということは、しばしの身体的義務から自由になり、目の前に思考を取り戻すことだ。

椅子があればこうして腰を下ろしたくなる。居心地のよい椅子であればなおさらだが、そこまでは求めない。

目的をあらかじめ想定したデザインと仕様が十分に施された親切やサービスはありがたいが、一方でそこに当てはまらない自由がなくなるのは辛い。ただそこにいるだけの人をもう少し信頼し自由に任せたら、そこからまた新しい需要も生まれよう。地下の広場で時間をつぶすのに、それがレストランやショップである必要は必ずしもない。何列も並んだ椅子に思い思いに腰かけ荷物をおろす旅行者。通路を行き交うまた別の旅行者を眺め、立ち上がり、またその雑踏に消える。駅や列車が「駅ナカ」の人のためだけに存在しているのではないように、列車に乗っている人だけが旅人なのではない。

鉄道ジャーナル編集部

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車両を中心とする伝統的な鉄道趣味の分野を基本にしながら、鉄道のシステム、輸送の実態、その将来像まで、幅広く目を向ける総合的な鉄道情報誌。創刊は1967年。

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