カローラとシビックの5ドアが復活した意味

トヨタとホンダの看板車種はどう変遷したか

初代カローラは、1966年(昭和41年)10月に、日産サニーの発売から6カ月遅れて発表された。このサニーとカローラの2車が、日本の大衆車時代を切り開いた。カローラは、開発主査の長谷川龍雄氏が唱えた「80点主義プラスアルファ」の言葉どおり、すべてにおいて消費者の満足を得ながら、ほかより優れた何か、ここで言えばサニーより100ccエンジン排気量の大きいゆとりを商品力として誕生した。

翌年にはトヨグライドと呼ぶオートマチックトランスミッション車を追加し、商品性を拡充していく。また当初はノッチバックの3ボックス型セダンで登場したが、2年後の1968年にはファストバックの「カローラ スプリンター」を追加した。その流麗な姿は、同じクーペでも簡素な合理的造形の「サニークーペ」に比べ優雅だった。ここにも、単に性能や機能を追求するだけでなく、顧客満足度をいかに高めるかといったプラスアルファの思想が感じられる。

シビックは、初代サニーやカローラより6年後の1972年7月に誕生した。この間、ホンダが大衆車への参入に手をこまぬいていたかというとそうではなく、1969年5月に「ホンダ1300」という小型車を登場させている。

サニーやカローラが、フロントエンジン・リアドライブ(FR)の一般的な機構を採り入れていたのに対し、ホンダ1300はフロントエンジン・フロントドライブ(FF)を採用した。なおかつエンジンは、1960年代のホンダF1で採用された空冷式であった。しかも他車が60~70馬力であったところ100馬力前後の高性能エンジンを持ち込み、F1での活躍を印象づける商品性を示した。

ところが、加速こそ鋭いが、当時のFF車はカーブでの癖が強く、思いどおりの走りをしにくかったことなどから、ホンダ1300は一部のファン以外の消費者から好評を得るには至らなかった。そして同じFFを用いたシビックへ切り替わるのである。ホンダ1300が、サニーやカローラと同じノッチバックの3ボックスセダンとクーペとの車種構成であったのに対し、シビックは2ボックスのハッチバック車として生まれた。これが、爆発的な人気を呼ぶ。

賢いクルマ、初代シビック

初代シビックは、1967年3月に発売された軽自動車のN360に通じ、FFを生かした合理性を見た目にも示す、賢いクルマという姿と性能を持って現れた。

賢いクルマとは、どのようなものか。初代シビックは、当時ホンダの主力商品であった2輪車の販売店でも扱える大きさという観点から、5平方メートルの大きさに収める設計を求めた。車体は今日の軽自動車規格とほぼ同じだが、シビックの外観は台形の2ボックスで、それは英国で生まれたミニに通じる、実用的合理性に通じる造形であった。ある意味で、カローラの80点主義プラスアルファのプラスアルファをそぎ落とした美とでもいうべき造形であったと言えるだろう。それを貧相にしてしまうのではなく、ホンダは個性として打ち出した。

原点は、ホンダ1300の失敗から学び、「いま必要なクルマは何か」という本質的な問いから生まれた価値であり、それを形にしたのが台形の2ボックスカーであった。この開発を言葉で表すと「ユーティリティ・ミニマム(最も効率のよい寸法、性能、経済性)」と「マン・マキシマム(居住空間の十分な確保)」である。この概念は、その後のホンダのクルマづくりの根幹となっている。

車両重量は600キログラムを目指し(最終的には680キログラムで完成)、これはサニーやカローラと比べても軽くなるはずであった。結果、小さな排気量のエンジンでも、俊敏で心地よい走行性能を発揮した。これは、それまでの2輪車や4輪車で高性能エンジンを主体としてきたホンダの開発からの大きな転換でもあった。

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