ラグビーの伝道師と呼ばれる男たち--神鋼ラグビー部の挑戦

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 今から3年前、神戸製鋼が全国で1000人を対象に企業イメージのアンケートを行った。その中の「事業活動・企業活動についての認知」という項目への回答に、経営陣は目を見張った。「ラグビーが強い」という回答数(293票)が、本業である「鉄鋼業」の100票を大きく上回ったのだ。

「コンシューマーグッズを作っていないわれわれのようなメーカーにとって、ラグビーが果たした役割は非常に大きい」。社長の犬伏泰夫は、あらためて自社におけるラグビー部の存在感の大きさを痛感した。

「企業経営とはRight(権利)ではなく、Privilege(特権)だ」。犬伏は常々そう語っている。企業とは社会によって生かされている存在。だからこそ営利を追求する前提として、社会に対して何らかの貢献をしなければならない。ただし、そこには条件がある。会社は意味のないことをやる余裕はない。犬伏の言う「意味」とは、自分たちの企業に合った、あるいは強みのある部分を、世の中の人たちに提供していく中で、互いのメリットが拡大されることだ。

長引く「鉄冷え」の中で、全国優勝経験もある野球部が02年に休部になった。それでもラグビー部は存続した。「ラグビーには費用負担するだけの意味がある」(犬伏)。それが神戸製鋼の出した結論だった。

神戸製鋼が残した「意味」の萌芽は、ラグビーの枠を超えて、すでに北の大地で花開いている。

北海道夕張市。かつては炭鉱の街として栄えたこの街も、今や財政再建団体としての知名度のほうが高い。「遠隔地で交通費もかかる」(前出の前田)ため、今年から菅平に移った「KOBELCOカップ」だが、昨年までは夕張で開催されていた。 

夕張でのラグビー教室 市民の気持ちを動かす

財政破綻後、初めての開催となった昨年は、地元支援の一環として、新たに夕張市民を対象としたラグビー教室が企画された。発案者の一人である藪木は、夕張と阪神・淡路大震災のときの自分たちを重ね合わせていた。「神戸製鋼も地震で被災したとき、多くの支援を受けた。その支援が大きな勇気につながった。夕張の子どもたちにも勇気と笑顔を与えたかった」。

教室には40人の小学生が参加した。最初は楕円のボールに戸惑う子も多かったが、ラグビー部選手の指導もあって、すぐに慣れて笑顔でラン&パスを繰り返していた。

教室の開催に協力した夕張市地域再生課の佐藤学は「観光行政に携わって10年になるが、これだけ参加者が盛り上がれたイベントは初めて」だと振り返る。「昨年は夕張支援ということでたくさんのプロスポーツ・チームが来たが、交流する機会はなく、台風のように去っていった。子どもたちに何かが残ったのは、この教室だけ」と語る保護者もいる。

神戸製鋼の活動は、ラグビーとは別のところでも夕張を刺激した。

第1回大会から会場設営をサポートしてきた市の外郭団体が、財政破綻に伴う補助金カットで解散することになった。そのメンバーの一人だった澤田直矢が中心となり、昨年10月に「ネクスト夕張」というイベント会社を設立して再出発を果たす。今年3月には『ゆうばり映画祭』を復活させた。澤田は言う。「よそから来た神戸製鋼が、あれだけ地元を活気づけた。自分たちにできないわけはない。少なからぬ刺激を受けた」。

ラグビー協会の真下は、神戸製鋼を「ラグビーの伝道師」と評する。高校ラグビーの普及を社内から支える藪木だけでなく、林や平尾はそれぞれNPOを立ち上げ、スポーツ文化全体を発展させるべく活動を始めている。

鋼の体を持った心優しき男たちが、ラグビーを通じて見せた熱意と志操。それは楕円球が転がるが如く、スポーツという枠組みを超えて、さまざまな影響を及ぼし始めている--。

9月21日現在、神戸製鋼は無傷の開幕3連勝を果たし、3位という好位置につけている。「常勝神鋼」復活へ期待も膨らむ。今シーズンこそ神戸製鋼はその期待を裏切ってはならない。彼らに寄せられる期待は、もはやラグビー界からだけのものではなく、神戸製鋼ラグビー部の優しき心に触れた者の総意なのだから。=敬称略=

(猪澤顕明 撮影:平岡スタジオ =週刊東洋経済)

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