ホームレスになった年収1200万男性の悲劇 働き盛りを襲う「介護離職」の現実

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母は肝臓病が悪化して入退院を繰り返していた。子どもはまだ小学生と保育園児で手がかかる期間。平日は週2回、18時に終業するとともに病院に直行した。ようやく退院がかなった母だが、介護が必要となる。要介護度は5。平日の週5回、朝昼2回の食事の世話を中心に訪問介護を入れた。夕方は自費でヘルパーを依頼し、母と子どもたちの食事をつくって食べさせてもらった。

「元気な頃の母は私が仕事を続けられるように、子育てをサポートしてくれたので、母の介護で仕事を辞めたくなかった。その分、母に恩返ししようと、疲れていても病院通いだけは続けました」(ユミコさん)

病院通いを続けたのは、少しでも多くの時間を母とともに過ごすことが一番の親孝行だと思ったから。病院から帰ってきて遅い食事を取り、母の洗濯物と一緒に洗濯機を回すのはいつも夜中になってしまった。朝は5時半には起床。睡眠不足が続いた。自宅での介護がはじまってからは、1時間単位で取得できる有給休暇を活用した。おかげで会社を休むこともなく介護を続けることができたという。

「『いつでも戻っておいで』という、上司のひとことがなければ、今の私はなかったと思います」こう振り返るのはマユミさん(仮名、35歳)。

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実家に住む父が末期がんと診断された。自営業で母は働き、祖母の面倒を見なければならない。近くに住む姉は子育てに追われている。

「父の世話ができるのは自分しかいないと思い込み、会社を辞めて実家に戻りたいと上司に伝えました。父は手術後すぐに抗がん剤治療に入ったので、退院したら介護が必要でした。あと何年生きられるかわからない、といった状況でしたので、できる限りのことはしてあげたいと思い、当時保育園に通う娘を連れて実家に帰りました」(マユミさん)

ところがそのとき、「うちの会社には介護に関する制度があるよ」といって介護休業を勧められた。ひとまず、介護休業を2カ月取得。そのあいだ、家族と父を介護するための態勢を整えた。仕事の引き継ぎを兼ねたミーティングでも、「いつか自分も同じ立場になるかもしれないから」といって、送り出してくれた。

「そのときも職場に迷惑をかけてしまったという思いから、辞めるつもりでいましたが、休みに入ってから上司が『いつでも戻っておいで』とよく声をかけてくださったので踏みとどまりました。その言葉がなければ仕事から気持ちが離れてしまい、本当に辞めてしまったかもしれません」(マユミさん)

会社の制度があっても、「介護はまだ当分先の話だから、詳しいことは理解していなかった」とマユミさんがいうように、社員に認知されていないことがある。会社を辞めないことを前提に、制度を使う風土づくりが従業員の側にも求められる。

(登場人物の年齢、肩書は2017年4月時点)

村田 くみ ジャーナリスト

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むらた くみ / Kumi Murata

1995年、毎日新聞社入社。「サンデー毎日」編集部を経てフリー。2008年より母親の介護をしながら、ライター、ファイナンシャル・プランナーとして多くの週刊誌などで執筆。おもに経済、社会保障、マネー関連の記事を担当。2016年1月、一般社団法人介護離職防止対策促進機構のアドバイザーに就任。おもな著書に『おひとりさま介護』(河出書房新社)、『介護破産』(KADOKAWA)など。

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