子どもにおカネを無心し続ける母親の正体 虐待被害者が抱え続ける「痛み」とは?
後日、校長先生は「なくなったらおいで」とわらばん紙をたくさんくれました。貧乏だったので、すごくうれしかった。数年後、私の絵は校長先生が転任するまで校長室に飾られていたとあなたは自慢げに話しましたが、腑に落ちませんでした。山下清のドラマを見せ、「頭の足りんのは絵が得意」と笑っていたから。
私は家であまり絵を描かなくなりました。私が楽しそうにしたり、集中していると、あなたの機嫌が悪くなる。父が転職をくりかえし、お酒もたくさん飲んでいたので、お金のことでもめていたのです。
あなたは父を「稼ぎが悪い」とののしり、酔った父が暴れ、殴り合い。食事は飛び散り、毎夜のように怖い思いをしました。後片付けはいつも私の役目。食べ物を粗末にし、うらみごとを言いながらも働こうとせず、離婚もしないあなた。
「子どもに手がかかるから仕事に出れない。子どもがいるから離婚できない」が口癖で、父には「女は家を守るのが、男は稼ぐのが役目。嫌なら出てけ。子どものために金だけ送れ」と無茶苦茶。父が出て行った時、あなたは探し回り、居場所がわかると私に説得に行かせ、父が帰ってきた後もケンカ。
父に勝ちたいがために娘を道具に
中学生になった時、いつにもましてひどいケンカがあり、あなたが泥酔した父のとなりで寝たくないからと、私を父の横にしました。夜中に起きた父は、まだ酩酊状態。私を母と思い、体をまさぐりだしました。私は気持ち悪くて泣きながら父の手を払いのけ、あなたに助けてほしくてすり寄りましたが、無駄でした。何度か手を払い、抵抗していると、父はあきらめて眠りました。私は明け方まで安心して眠れませんでした。思い出すと今でも吐き気がします。
数日後、あなたは父とののしり合い、勝ち誇った顔で叫びました。
「親子で乳くり合ってるくせに偉そうにするな!」
あなたは、父に勝ちたいがために私を道具にしたのです。自分が主導権を取れるなら、娘の気持ちなど問題ではなかった。私はあなたを軽蔑するようになり、必要なこと以外は話さず、夫婦ゲンカも止めなくなりました。
高三の夏、帰宅すると自衛隊のスカウトがいました。体力が無かった私はお断りし、帰っていただいたら、あなたはねちねちと責めましたね。
「寮に入れば生活費がタダ。いろいろな免許もタダ。近所に自慢できる。お前に何かあれば、残された家族は国のお金で一生楽ができる」
お金、お金、お金! 戦死者の年金をもらっている身内を「うらやましい」と言ってたあなた。実の娘の死を想定してまで自分が楽することしか考えていない金の亡者。
就職し、給料をもらうようになってから、私は家にお金を入れていました。男友達もでき、外の世界が楽しくなった頃、あなたは「親として娘の相手がどんな人間か見てやる」。私はうれしかった。男友達を家に呼んで食事し、一緒に楽しく会話してるのを見て、浮かれていたのです。そのうち、男友達は私を避けるようになりました。その後の男友達も同じ。
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