53年前、「100m9秒台に迫った」日本人の真実 東京五輪で優勝候補→プロ野球に転身の内幕
プロ野球の東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)にドラフト9位で指名され入団。世界初「代走専門選手」としての活躍を期待されてのドラフト指名だった。人類最速の男、ウサイン・ボルトが陸上選手を引退後、サッカーへ転向するという観測がこの夏、世間を賑わせたが、トップアスリートが、全く別のスポーツのプロの世界に飛び込むというのは当時でもかなり異例なこと。
プロ野球転身後の初盗塁は“ノムさん”から奪取
そんな飯島と対戦経験のある球界史上に残る名捕手“ノムさん”こと野村克也は当時のことをよく覚えているという。
「恥をかかされてるんだ、俺」
プロ野球入団1年目の1969年4月、ロッテvs南海戦。9回裏ノーアウト1塁の場面。ピンチランナーとして飯島は初出場、プロ野球デビューを飾る。
しかし、野球は素人同然だった飯島のリードは無茶苦茶で投手が投球動作に入ってもスタートする気配はない・・・。
「盗塁というのは読んで字のごとく、投手のモーションを盗むこと。盗塁の9割はスタートで決まる」
そう語る野村だが、飯島の走塁はその概念を根底から覆した。ピッチャーが投げたボールは野村のキャッチャーミットへ・・・何とボールがミットに収まったそのタイミングで、飯島は突如スタートを切ったのだ。
普通のランナーであれば確実にアウトのタイミングだが、飯島の驚異的なスピードに野村は焦り二塁へ大暴投。飯島はプロ野球界で記念すべき初出場初盗塁を、あの野村克也から決めたのだった。
華々しくセカンドキャリアのスタートを切った飯島だったが、そこは厳しいプロの世界。思うような活躍はできず、わずか3年で戦力外通告。表舞台から姿を消した。
「稀代の天才スプリンター」が姿を消して45年、飯島秀雄の今を追った。するとこれまで語られることのなかった衝撃の事実が明らかになった。
マスコミへの対応を極力避けてきた飯島だが、度重なる取材交渉の末、約30年ぶりに取材に応じ、全てを話してくれた。
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