大手私鉄の経営に「JRの30年」が与えた影響 速さでJR優位、西日本で目立つ乗客減少

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ところで、国鉄と大手私鉄との間には1970年代の半ばまで大きな壁が立ちはだかり、一部を除いてほぼ完全にすみ分けが行われていたことをご存じであろうか。

国鉄の鉄道事業の重心は、首都圏、中京、京阪神の各都市圏内であっても、数百km離れた都市間の移動に置かれていた。東海道や東北といった主要な幹線には特急・急行などの旅客列車、それに貨物列車など長距離を結ぶ列車が多数運転されていた。一方、大都市圏内の通勤・通学輸送については、国鉄も重責を担ってはいたものの、どこか傍流という感は否めなかったのである。

ところが、国鉄の分割民営化を機に誕生したJR旅客各社は鉄道の本分とは何かを追求し、単なる組織の変革だけでなく、鉄道事業のあり方の改革にも取り組んだ。この結果、旅客輸送では新幹線や高速化された特急列車による中・長距離の輸送と、大都市圏の通勤・通学輸送とに特化することが新生JRにとって最適と判断された。要するに前者の分野では高速道路、後者の分野では大手私鉄と競争すると高らかに宣言したのである。

JR発足後の大手私鉄は「東高西低」に

この動きは何も1987年4月1日を期して始められたものではない。1978年10月2日に実施された列車ダイヤ改正で、国鉄は新幹線を除く600km以上での長距離の旅客輸送を航空機に譲り、貨物輸送の整理と統合とを本格的に始動させている。その4年後の1982年11月15日に行った列車ダイヤ改正では、長距離旅客列車や貨物列車を多数削減する代わりに、大都市圏では普通列車の増発と通勤・通学輸送の拡充へと舵を切った。

発足したばかりのJRの動きに対し、大手私鉄がどのような反応を示したのかはわからない。一方、JR側はというと、とある経営幹部が「当社は今後、大手私鉄の仲間入りを目指す」と号令をかけたというから、そうとう意識していたようだ。

JR各社が本格的に大都市圏での通勤・通学輸送に取り組んだ結果はどうなったのか。1987年度と2012年度の大手私鉄の輸送人員の推移を比較すると、大手私鉄のうち、輸送人員が増加したのは7社、減少したのは8社となった。東日本では、6億2030万人から6億1952万人へと減少した西武を除く7社が増加した一方、西日本については、2億1769万人から2億2113万人へと増加した阪神を除く6社が減少と「東高西低」の傾向が表れている。

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