国立「三角屋根の駅舎」復活までの長い道のり 解体保存の部材使い復元、2020年完成めざす

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ところが今度は議会の反対に遭った。というのは、国立駅は先に述べたように、元は「箱根土地」が当時の鉄道省に譲渡したものであり、旧駅舎の建っていた場所も当然JR東日本の持ち物である。その用地取得のメドも立っていない段階で別の場所に動かすだけ動かしてしまっても、復元の現実性がない。したがって「曳き家方式」移設の予算も付けられない。議会はそう判断したのだ。

議会の主張も実に正論であった。なぜなら、これも前述したように、駅舎はヨーロッパの街における大聖堂にあたるもので、そこから目抜き通りが伸びる象徴としての建物だ。ならば国立の駅舎もまた、大学通りの起点である、もともとの位置に復元されなければ意味がないのだ。

三角屋根は「街の写し絵」

旧駅舎だったころの国立駅前。三角屋根の形に注目(提供:国立市)

ところで、この旧駅舎の三角屋根、眺めていて違和感はないだろうか? そう、一般的な切妻屋根と違って三角形が左右非対称なのだ。実はこれ、地図を見るとわかるのだが、国立の街がまるで写し絵のように描かれた形なのである。

国立駅と富士見通り、旭通りの関係。駅を頂点とした三角形に注目(地図画像 ©OpenStreetMap.org contributors)

デザインしたのは建築家の河野傳(こうの・つとう)。帝国ホテル新館建設時、フランク・ロイド・ライトに師事した人物である。河野が街の形を模して設計したという文献は残されていないそうだが、国立駅周辺整備課の和田さんによれば、古くから住む国立の住人の間では言い伝えられている、いわば都市伝説だという。

街が計画された際、堤康次郎は駅舎を頂点にして真っすぐに大学通りを通し、駅から左右に伸びる2本の道は大学通りに対して45度の角度をつけ、斜めに伸ばすことを考えていた。そして、東側の道には朝日が昇るので「旭通り」と名付け、西側の道は富士山を眺められるように角度を少し緩やかにし、富士見通りと名付けた。この街の形を模した駅舎のデザインもまた、街のアイデンティティそのものなのだ。

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